カテゴリー「08. 音楽・映画・美術」の14件の記事

2020年7月30日 (木曜日)

Zoom as an Equalizer

夏クオータの授業がもうすぐ終わる.結局学生たちとは一度も対面しないままだった.特に新入生は一度もキャンパスに来ないままだが,リーダーシップの授業ではすごく親しくなる点は例年どおりのようである.

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2018年9月24日 (月曜日)

Cooking in Seattle

英語圏の出張で同じところに連泊ならば極力キッチン付きのホテルに泊まり,鉄鍋を持参します.日本と違って英語圏のホテルにはキッチン付きは珍しくなく,掃除やリネンサービスが簡略で割安なところもあります.

英語圏はざっくり言って,スーパーや市場で買う食材はごく真っ当でも,現地シェフの手にかかると(失礼ながら)どうしてこんな味になっちゃうの?とか,どうしてこんなに高いの?ということがままあり,自炊の経済性が高いからというのも大きな理由です.もちろんさらに大きな理由は現地食材を使って料理するのが楽しいからです.しかしヨーロッパの大陸側や日本を含むアジアなら鉄鍋は持っていきません. ペイしないし,外食が充分美味しいからです.

今回のシアトル出張では,ホテルから徒歩数分のところにWhole Foodsがありました.

Wholefoods

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2017年12月 4日 (月曜日)

ケイン号とバウンティ号の叛乱

Caine

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2012年2月24日 (金曜日)

バウンティ号の叛乱

Bounty

映画「バウンティ号の叛乱」は、劇場版だけでも少なくとも三度制作されている。主人公フレッチャー・クリスチャンを演じた俳優名で言うと、

クラーク・ゲーブル版(1935)
マーロン・ブランド版(1962)
メル・ギブソン版(1984)

この三つを見比べてみた。(2011年にテレビ版もあるそうだが、それは見ていない。)

1787年、英国軍艦のバウンティ号のタヒチへの長い航海の帰路、過酷な船長に対して叛乱が起こり、船長が船を追われて小舟を与えられ、船長は小舟で行けるところへ辿り着いてから英国に帰り軍事法廷で勝ち、その間、主人公率いる叛乱隊はバウンティ号に乗ってタヒチに戻る。主人公らのその後は不明である。そこまでは史実らしく、三つのバージョンで共通しているが、その後主人公がどうなったのかについては三者で三様の解釈(想像)がされており、その伏線としてタヒチに至るまでの航海中やタヒチ島で起きる出来事も相当に三者三様の描かれ方だ。
 私の好みで言えば、演技・脚本・カメラ、どれをとっても62年のマイルストン監督、マーロン・ブランド主演版がずば抜けていると思う。唯一他の二作に比べて62年版で首をかしげる点があるとすればタヒチの族長がミスキャストに思えることくらいか。叛乱に至る過程での主人公の描かれ方は、クラーク・ゲーブル版では、航海自体が冒険で、その勢いというか延長線上で叛乱も起こしてしまったように映るし、メル・ギブソンは例によって一時の激情で叛乱に至ったかのような演技だ。しかしマーロン・ブランドは出港のときには叛乱など起こしそうにない享楽的で冷笑的な士官であったのが、徐々に変わっていき、叛乱の前にもたっぷり逡巡があり、叛乱を起こして船長になってからもさらに変貌していき、やがてそれが運命を左右する。その意味ではストーリーはブランド版が一番重いが、重苦しいわけではなくエンタメ要素も充分ある。
 なお、まだ知らない人が多いようだが、DVDと違ってBlu-rayディスクについては日本と米国は同じリージョンAなので、米国のBlu-rayディスクはそのまま日本のBlu-rayプレーヤーで視聴できるので日本でも普通に販売され始めている。このディスクを含め、米国版の多くの映画ディスクには英語字幕もある。

Mutiny on the Bounty (1962) (アマゾン)

08. 音楽・映画・美術 |

2011年10月 3日 (月曜日)

PC/ iPodオーディオのすすめ

 あまりパソコンを使い慣れないオーディオマニアに「これからはPCオーディオですよ」と言うと「何を馬鹿な」という反応をされるが、今の変化は上流(音源に近い方)で主に起きていて、一番下流つまりパワーアンプからスピーカー(ヘッドホン)ではまだあまり変化が起きていない。だから体験しようと思えば今のアンプやスピーカーなどの装置を活かしたまま比較的手軽にテストできるはずなのだが、それすらせずに毛嫌いする人もいる。そもそも中年以上のオーディオマニアという人たちは機械全般が好きなことが多く、自動車やカメラあたりに妙に詳しい人が統計的に多い気がするので、PCオーディオというだけで拒否反応のある中年オーディオマニアというのは、ある年齢から世の中の動きについていくのをやめた人なのかもしれない。(余談だがPCオーディオを毛嫌いする人は、デジカメの普及過程で最後まで光学式カメラにこだわってデジカメを拒否し続けた人たちによく似ている。好きでライカの光学式カメラを使い続けるのはいいのだが、デジカメのメリット、例えばインスタントな共有可能性に目を向けなかったのは悲しいことだ。)それはさておき、いま起きつつあるオーディオの変化は、1982年のCDプレーヤー(フィリップス・マランツブランド)の登場とその後の爆発的な普及の前後に匹敵するものだと思う。
 PCオーディオのブームは2008年にiPodからデジタルで音を取り出すことから始まったようだ。2008年よりも前にも、音楽好きから見てiPodの音には種々不満があり、その筆頭は、付属のヘッドホンだった。しかしそれは他社のヘッドホンを買えばすぐ解決する話。実は、より大きな問題として、音源としてのiPod自体には凄い潜在力があるのに、音源近くの上流に大きな障害があって、普通の使い方だとその力がフルに発揮できないのだ。iPodの記憶媒体(ハードディスクやフラッシュメモリ)から読み出されたデジタルの信号は、あの小さなiPodの中でアナログ信号に変換(convert)されヘッドホン用に増幅(amplify)される。このデジタル・アナログ変換機(D/A converter)と増幅機(amplifier)がiPodの場合非常に弱体なので、音源としてのiPodを活かすにはこの両者をバイパス(迂回)してiPodから取り出してしまう必要がある。それを可能にするのが、iPodを同期したり充電したりするときに使うドックなのだ(ある意味でiPodの設計はその可能性を予見していたのだろう)。これは「iPod用デジタルオーディオトランスポート」と呼ばれている製品で、2008年夏に米Wadia社から最初の170iが出てから、ブームが始まった。
 iPodから生のまま取り出したデジタル信号を、今度はきっちりアナログに変換するD/Aコンバータを繋ぐ。ここでアナログに変換されるから、そのあとは従来のプリメインアンプやパワーアンプにRCAケーブルで繋げば凄い音が出る。D/Aコンバータも各社から出ている(2万円台から数十万円台まである)。デジタルオーディオトランスポートとD/Aコンバータ(と場合によってはアンプまで)統合したミニコンのような製品も出てきたが、iPodのドックから取り出すときにしっかりデジタル信号のまま出しているかどうかが分かれ目だ。ドックを使っていてもアナログで取り出しているミニコンやポータブルスピーカー一体のものもあるので要注意。
 iPodの記憶媒体に入っているデジタル信号はもともとパソコンのiTunes経由で入れたもののはずだから、パソコンを音源にすることもできる。パソコンからUSBケーブルでD/Aコンバータにつなぎ、あとは同じ。
 音源になるパソコンやiPodにある音楽ファイルは、可能な限り圧縮してないもののほうがいい。具体的にはWAVかせめてアップル・ロスレス。CDからiTunesで読み込むときには、iTunesの読み込み設定を、「読み込み設定」は「WAVエンコーダ」を選択し、サンプルレート48,000kHz、サンプルサイズ16ビットにし、「エラー訂正」にチェックマークを入れる。パソコンを音楽再生時に使うなら、音楽ファイルは常にバックアップしておき、なるべく仕事など他用途に使うパソコンと別のパソコン(ないしハードディスク)にするほうが安全だ(ファイルの断片化のあおりをくわないしクラッシュの危険も減る)。既に自分の満足できるオーディオシステムやCDを持っていて、余ったパソコン(多少古くてもいい)のある人は、D/Aコンバータとケーブル類を買って繋ぎ替えるだけで始められる。
 これで聴く音楽はiPodやパソコンのヘッドホンジャックからコンポに繋いだりするのとは全然別世界だ。静寂感・音場感・音像感・音の伸びがまったく違う。音量をあげてもうるさくならない。CDプレーヤーからコンポに繋ぐ場合をも凌ぐことが少なくない(聞き比べてみて、違いがわからない場合は、装置か耳か、その両方が悪いのだろう。耳が悪い場合は、そもそも音の違いが気にならないので、別の世界にエネルギーと時間を向ければよく、それはそれで幸せなのかもしれない。味覚と同じ話である)。
 さて以上のPC/ iPodデジタルオーディオのラインナップにCDプレーヤーが全く登場しないのにお気づきだろうか。そう、CDプレーヤーは一回一回ディスクから読み取ってからアナログに変換する(そう、多くのCDプレーヤーはD/Aコンバータを内蔵している)のだが、iTunesやiPodを使う場合は最初に一回だけCDから読み込んで、あとはハードディスク(やフラッシュメモリ)からエラー補正をしながら読む。どちらの方式が良いのかは決着がついていないが、しかし高い品質のデジタル信号を毎回安定して取り出すためにかかる製品のコストを考えると、ここまでのところどうやらパソコン・iPodの方式が圧倒的に有利なようだ。
 このように、いまのところ変化はCDプレーヤーをやめてパソコンやiPodを音源にするというところと、D/Aコンバータ付近とに集中しているが、いずれこれが川下のほうにも波及することが予想される。ちょうど、CDプレーヤーが登場して、狭い空間でも手軽に良い音の取り出しができるようになり、小型でも良い音の出せるスピーカーの開発が進んだのと同じである。真空管アンプなどもまた人気を取り戻しているようだ。川上に不確定要素が多いと、真空管アンプの味わいなのか、もっと川上の音源の味わいなのか、判別できないものだが、川上の透明度が高いというのはいつでも安心材料だ。川上のほうでも例えばCDプレーヤーの逆襲のような進化もおきつつあるようだ。
 では操作性はどうか。これはアナログのLPレコード(黒いビニールディスク)よりCDが格段に楽だったように、PCオーディオの操作はCDプレーヤーよりさらに楽である。第一、CDを入れ替える手間がまったくない。音質はどうかというと、最高にチューンされたアナログのシステムは今でもCDを上回るという話はよく聞く。しかしユーザの大半が操作が楽なほう、セッティングが楽なほう、つまりCDに流れて、やがて音楽ソフトもCDでしか発売されなくなったのと同じことが起きるだろう。つまりCDの退位は、高音質な音楽ファイル(ファイルサイズは大きくなる)のダウンロードによって完成するだろう。(いまのiTunesストアはまだAACファイルどまりで、WAVファイル等でダウンロードできるわけではなく、その意味ではCD未満の音質であり中途半端であると言えると思う)。ユーザーにとって音質や操作性はそれを実現できる価格との比較でしか意味がない。同一の価格のシステムならば、(iPodやパソコンまで含めて総額50万円でも20万円でも)アナログディスクよりCD、CDよりPCオーディオのほうが音質も操作性も高く、既に勝負はついた、といって良いと思う。
 変化にともなってPCオーディオの雑誌なども数種類創刊されているが、コバンザメのような評論家がメーカーから接待されて、メーカーの意向に沿う記事を書いて、メーカーも雑誌社も消費者も幸せ、という、批評性の無さは従来の(私の知るところだけでも自動車・カメラ・クラシック音楽・オーディオ・テニス用品など日本における多様な趣味の)雑誌の悪弊を忠実に受け継いでいる。その中で、鈴木裕著『iPodではじめる快感オーディオ術』(リットーミュージック)は、一年前の発売なので製品紹介は古くなりつつあるものの、非常にわかりやすく誠実で好感が持てる。付属のDVDの音源も凄い。

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2011年9月 6日 (火曜日)

「十二人の怒れる男」たちの質問力

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 East-West CenterのリーダーシッププログラムAPLPの第11期生(G11と呼ばれている)は、今週木曜に映画「12人の怒れる男」を教材にして”Influence”についてディスカッションをすると予定表にある。涼しくなってきたのでいいのだが、この映画は暑苦しい。映画のセッティングも真夏のニューヨークの裁判所の陪審員室で、冷房もないところで12人の男たちが議論しあう二時間弱である。
 この映画は、実はBLPでも教材に使うことを検討したことがあるし、、内外の多くのビジネススクールでも教材として使われている。多くの場合は主役のNo.8(陪審員番号8番の男、最後に本名がDavisだと分かる。俳優は、いつも格好良すぎるのが困りものだがまさに適役のヘンリー・フォンダ)が、1対11という圧倒的少数から始めて、議事進行方法に関する提案と議事内容の発言をいかに巧妙に組み合わせるか、とか、いかに周囲を説得していくか、というリーダーシップについての教訓を得るために教室で鑑賞されているようである。そうした視点も面白いと思うのだが、ここでは、少し違う角度からもこの映画を見てみよう(他で既に似た視点から書かれてるのをご存じのかたは是非教えてください)。
 それは、絶対的少数派が、要所要所で質問をうまく使うことで多数派を巻き込み味方につけていく過程のことである。つまり、いわば質問力から見た「12人の怒れる男」である(以下この映画を見たことのない人にはネタバレになるので注意)。

 映画が始まって、陪審員が着席し、会議が始まってからしばらくはNo.8はじっと様子をうかがっている。しかしNo.10が、被告人の少年の話は頭から信じないのに証人の中年女性の話をそのまま信じているので、

18’09”
You don’t believe the boy’s story. How come you believe the woman’s?
と最初の一撃を質問で繰り出す。No.10は激昂して「きさま頭が良いつもりかYou are a smart guy, aren’t you?」と返し、おそらくは周囲の心証を悪くする。

続いて
25’09” Could they (witnesses) be wrong?
この後、やや芝居がかったナイフプレゼンテーションのシーンがあり、No.9を味方につけたNo.8は議事進行の主導権を握り始める。

40’53”
Has anybody any idea how long it takes an elevated train going at a medium speed to pass a given point? 
という質問によって証人の証言の信憑性を話題に皆を参加させることに成功する。善良なNo.2が「10秒くらいだと思う」と食いついてくれるし、次の
Has anyone here ever lived near the L tracks?
にはno.6が「ああ、ちょうどその沿線の家の塗装を終わったばかりだ」とこの質問に乗ってくる。

逆に、捨て台詞のつもりでNo.3が発した
43’20”
Why should he lie? What’s he got to gain?(証人が偽証する動機がないだろ)
という問いに、No.9の非常に重要な”Attention, maybe.”を引き出す。

徐々にNo.3が追い詰められていき、

58’38”
Are you his executioner? この挑発的な質問に乗って”Yes”と答えたNo.3をほぼ全員が見放し始める。

No.3やNo.10と違って終始一貫冷静で論理的なNo.4 (E.G.Marshal)が最後のほうまで有罪派に残っている。被告人の少年が家を飛び出して見に行ったという映画の内容を覚えていないという取り調べ結果に関して、No.8が発する質問は、

69’32”
Do you think you could remember details after an upsetting experience such as being slapped in the face by your father?
これに乗ったno.4が、自信のあるはずの記憶の危うさを自ら証明してしまう。

さらに、自由に質問できる立場になったNo.9が
84’15”
Aren’t you feeling well?
I was wondering why you rub your nose like that?
という質問をきっかけに、近視のNo.4の鼻の両脇についているメガネの跡や、目の間を揉むしぐさから、証人の一人で線路の向こう側から殺人を目撃したという女性が、実は強度の近視であることを証明してしまう。

対照的に、no.3,10らの質問は、形としては質問になっているときにも、返答を期待していない。例えば、What about the knife? と問いかけているのにすぐ自分の意見をかぶせてしまって対話にもっていくつもりがないし、何度も繰り返されるWhat the matter with you, guys?やHow do you like it?は返答を期待していない。あるいは43’20”のWhy should he lie? What’s he got to gain?のように返答を期待していなかったのに逆に相手方に強力な手がかりを与えてしまう。

このように、No.8/9の質問力にはNo.3/10と格段の差があり、少数派である間には多数派と対話に持ち込むためのツールとして、勢力伯仲してきたときには勝負する議論に引き込むツールとして、多数派になったときには駄目押しの一撃として効果的に質問を使用しているのである。これは実際に起きたできごとではないし、仮に起きたことであるとしても一回であるので、脚本にこう書かれてそれが映画化されているから質問の有用性を即証明するというのではないのだが、五十年以上前に書かれた脚本が繰り返し映画化され、それぞれが人々に愛好されているのは、一つにはNo.8/9とNo.3/10らのこうした話法の違いを含めて実際にありそうなこととして人々に認識されていることの現れではないか。

(下は写真はワイキキ西方の空。最近はこんな雲も見られるようになり涼しくなってきました)

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2006年12月 3日 (日曜日)

Tolga Emilio Trio

ボローニャの広場で演奏中のところを偶然見かけたのが、このギタートリオ"Tolga Emilio Trio"です。

Tolgaemilio1


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2006年6月 9日 (金曜日)

模様替え

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大学の研究室の模様替えをしたので、ここも少々変えました。バナーに使った写真(追記:その後2006年9月にまた変えたので上に再録しました)は、研究室の机の前に立って撮ったものです。左側は窓なのですが、狭い中庭をはさんで向かい側が教室棟の廊下で、行き交う人と目が合うくらい近いのでブラインドを全開しておく気にもなれず、殺風景でした。

去年9月にニューヨークに出張したときに、ホテルの部屋にかけてあったモネMonetの絵がすごく好きになったため、翌日メトロポリタン美術館に行って同じ絵のポスターを買い、筒に入れて日本に持ち帰りました。それがこの絵です。(このとき一緒にゴッホの「夜のカフェテラス」も買ってきて、一緒に飾ってあるのですが、偶然、最近吉永小百合の出るテレビ広告に使われていますね)

壁に絵をかけるだけで空気がまったく変わったのには驚きました。今まで美術には全然興味がなくて、パリにいったときルーブルやオルセーには目もくれませんでしたし、フィレンツェでもウフィッツィ美術館もほとんど素通りしていたのですが、これからは楽しみがまた一つ増えました。

(ニューヨークについては、よろしければこちらも読んでください。また、米国・英国・ドイツ・イタリア・オーストラリア・ベトナム・上海については海外旅行・出張記もどうぞ)

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2005年9月11日 (日曜日)

NYCooking

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米国に来て6日目。外食に飽きてきたので、ニューヨークに来た機会に自炊しました。予めkitchenette(簡易キッチン)付きのホテルを予約していたんです。実はここは80年代にニューヨークに居たときに数ヶ月住んでいたところで、当時は今よりはるかに安くて簡素なapartment hotelでした。いまは改装されて、結構おしゃれになっています。壁にかかっているのはMonetの絵ですが、かなり気にいってしまいました。こっちで買っていくかどうか、いま迷っています。

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2005年9月 8日 (木曜日)

夢真のTOB
金融メルマガ第42号(8月11日配信)

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