23 posts categorized "07. 本と言葉"

12/17/2007

影響力の法則(書評)

原題はInfluence without authority、つまり権限がないのに影響を与えることといった意味である。リーダーシップ論や組織論でもよく言われるように、縦一本の命令系統で全ての情報を下から収集し上から命令を下すという昔の軍隊風(著者の言うように軍隊ですら今は違うようだ)の組織運営では全く間に合わないほど現代の企業環境の変化は激しい。そうした環境の中で成果を得ようとすれば、必ずしも権限に基づいていないリーダーシップや組織横断的なプロジェクトチームによる主導が常に必要になる。ここまでであれば多くの論者によって主張されていることである。むしろ本書の白眉はそうした自発的・内発的なリーダーシップ emergent leadershipを発揮するに当たって必要になる対人関係のスキルを「交換」の観点から整理し、さらにさまざまなケースについて懇切丁寧に例解したことにある。組織の中で働いた経験のある方ならば誰でも本書の中でいくつか思い当たるケースに行き当たると言えるほど例が豊富である。アルバイトの積極的な提案が大切にされるような職場にもあてはまるので、アルバイト経験の豊富な学生にも(全てとは言わないが)かなり理解できるだろう。社会人ならもちろんである。

そもそも「交換」は、同じものに対する評価が人によって違うことから発生するというのが経済学の基本中の基本だが、経済学の想定とは違って、われわれは自分が持っていて相手に評価されるかもしれない財や資産(著者はカレンシーと呼ぶ)に本人が気づいていないことがしばしばある。そこで著者は、何がカレンシーでありうるかについて包括的なリストを読者に提示し、そのリストをいつも意識していることが必要だという。応用篇として、上司に影響を与える・厄介な部下を動かすといった章が最後にあり、そのテーマ自体は類書にもよく見られるものであるが、本書はそれも交換という視点に徹して整理しているので分かりやすい。

組織の中で働く人たちが皆この本を読んで種々の交換を始める状況を想像すると、無意味な衝突が減り組織の円滑さが増すさまが浮かぶ。しかしそもそも組織の中で人々が何のために交換をすべきなのかという点が本書の中であまり強調されていないことにも気づく。著者は暗黙に前提していることと思われるのだが、それは(経済学での交換における消費者のような個人的満足ではなく)チームや組織としての「成果」のためである。つまり成果を上げねばならない点での合意はできていることが前提されている。従って、リーダーシップ論の言葉で表現すると、この本はP (performance,成果)とM(maintenance,人間関係)というリーダーシップの2要素のうちのMの、合理的な実践に焦点を合わせたものであるとも言えるかもしれない。著者はリーダーシップという手垢のついた言葉を(上司や部下との関係を扱った最後の方の章に至るまでは)慎重に避けているが、M要素を合理的かつ実践的に説いているという意味では本書はリーダーシップ開発の格好の教材にもなるだろう。この本をもっと早く読みたかったと思う読者が多数出ることが予感される。高嶋成豪・高嶋薫両氏による翻訳はこなれていて非常に読みやすい。

アラン・コーエン、デビッド・ブラッドフォード著『影響力の法則』税務経理協会

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新しい本を出しました

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10/11/2006

「金融」の意味〜メルマガ55号

学生や若い人たちの起業・事業計画コンテストで何度か審査員を経験しました。審査員には大学の教員はどちらかと言えば少数派で、ベンチャー起業家や経営コンサルタント、さらに投資家、場合によってはヘッドハンターや人材派遣業界の方々が入っていることが少なくないようです。

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09/15/2006

日本精神

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ゼミ生たちが長庚大学の学生たちと夜市に行っている間、僕は一人でもっと台湾ローカルのものでも食べに行こうと出かけました。

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09/10/2006

快適な滞在と日本語・英語・中国語

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案の定、台湾への外国からの渡航者は増えていて、日本人はその中でもトップ。三分の一は日本人だそうです。(フジサンケイニュース

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03/31/2006

アメリカ流・日本流〜メルマガ49号

異文化経営学会第10回研究会の懇親会で偶然お会いした中村健一さんにご著書をいただきました。『ビジネスに日本流、アメリカ流はない〜グローバルマネジャー入門』(東洋経済新報社)。これはとても面白い本です。中村さんは建設機械の小松製作所に就職し、三十代半ばで渡米して以来、米国法人コマツアメリカなどで滞米25年間、現地で建設機械を売り続けてきました。米国人ばかりの現地法人や販売代理店に囲まれて、すごく日本流と異なるかにみえる商売や組織のあり方や米国人気質に、苦労したり苦労の甲斐あって報われたりする様子が活写されています。

余談ですが、中村さんは学会の発表でフロアから発言されたとき、「シカゴにいてコンサルタントをしております」と自己紹介なさり、コマツのコの字も出されませんでした。会の後の懇親会で名刺を交換したときにもそのことには触れず、後で本を送ってくださったときに初めてそういうご経歴の方と知り、驚きました。さらに本を読み始めてその内容の濃さに二度びっくりした次第です。

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01/25/2006

Knowledge is power.

"Knowledge is power."とは、高校生なら「知識は力なり」と習うところだろう。勉強すれば良いことがある、知識は自分の力になる、という意味である。ところが、これを「知ることは権力である」つまり「何かを知っていることは権力になる」「(他人より早く)知ることは権力の源である」という意味に読み替えると、にわかに別の意味を帯びてくる。

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03/12/2005

もう英語のカタカナ表記はやめたい(その4)

英語への入門としてカタカナ表記が良いというのは全く間違っていることはもうお気づきと思います。

カタカナ表記をやめて英語そのものを書くようにすると、今までカタカナ表記をしていたところが英語に置き換わるだけではなくて、いろいろな副作用が出てきます。

良い副作用の第一として、

(1)縦書き表記には英語は合わないので、カタカナ表記英語を減らして、可能な限り日本語でいいかえるようになる

それから、
(2)やむを得ず残った英語についても、今までカタカナで憶えていたので綴りや発音があいまいだったのが、辞書などで確認してから書くようになる。

(3)単に新しげな響きがほしくてカタカナ表記を濫用していた官庁作文が変わる

どうです? 良いことが多いですよね? 

ただ、負の副作用として、

(4)日本語の文章の中に英語を混ぜて書くと、キザな奴だと思われる

これは、英語カタカナ表記全廃運動の大きな障害となります。キザな奴と思われたくなければなるべく日本語に言い換えようとするでしょうから(1)と同じ効果もあります。ですが、どうしても対応する日本語がない場合(そしてそういう場合だけ英語を使うようにしていこうというもこの運動のめざすところです)というのは残るでしょう。

ここはぜひ国語審議会あたりに思い切って「英語のカタカナ表記は極力避けるものとする。例外はコレとコレ」などと定めてほしいところです。なんで急に政府が出てくるんだ?お上に頼るのは良くないのではないか?とうぶかしむ方もあるかもしれません。しかし自国語をどうするかというのは多くの国で重大な政策問題で、時には選挙の争点にすらなるくらい白熱しうる問題なのです。英語上達の最も重大な障害の一つを解消し、同時に日本語の伝統を守るために、英語のカタカナ表記全廃政策を真剣に検討してほしいと考える次第です。

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01/24/2005

うなずく米国人・見つめるイタリア人

挨拶がわりに、アメリカ人はよくうなずきます。そればかりか、道で知らない人と目が合ってしまった場合も、うなずきますね。目があって慌てて目をそらすと、少なくともそれまで不審の目つきで見ていたことがバレる(というか、そう思われてしまう)ので、「いや敵意や不審の念はないのだ」と示す意味だろうと思います。

イタリアでは、米国と対照的に、無遠慮な視線に出くわすことがよくあります。日本人以上に、平気でよそ者や女性をじろじろ見ますね。これは好奇心や警戒心をそのまま表に出しているんでしょう。その意味では開放的と言えなくはないですが、あまりひどいので睨み返したら驚かれたこともありました。つまり見つめることがoffenceであるという意識がないんですね。(逆にアメリカでじろじろ見られたら、それは意識したoffenceである可能性が高いでしょう。腕組みでもしていたらさらに確率は高いですね)

視線については米国とイタリアは両極端かもしれません。似たような文脈で、ロンドンのタクシーに乗ると最初に軽く話しかけてくることがよくありますが、これは客が大丈夫な(危険でない)人かどうかを確かめたいのでしょう。日本の一部のタクシードライバーのように自分の興味で話し続けるためではないようです。

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01/22/2005

Speak English?

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2004年4月、ローマに着いても最初の数日は雨まじりで肌寒くフランクフルトとセーターが手放せないので驚きました。今回の出張では三番目の国で、外国にいること自体には慣れましたが、やはりイタリアのインパクトは独特ですね。北部のミラノあたりだと、例えば夜中にミラノ駅前に急に降り立ったとすれば、字がイタリア語なのを除けば、ここはドイツですよと言われてもそうなのかもと思えなくはない景色です(ミラノ在住経験者とかは除く)。しかしローマはミラノとは違って、なんとなく猥雑な感じがして、ニューヨークにも似ています。でもニューヨークの戦闘的な感じとも違いますかね。南国であるせいでしょうか。

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