高校生からのリーダーシップ入門
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立教大学で2006年に始めたように,早稲田に移ってゼロからリーダーシップ教育を始めてみると,新しい現象に遭遇しました.
"(早稲田生の一部は)どうやら,リーダーシップをとるためには他者に対する優越性を示さなくてはいけないと思い込んでい(る)・・・この「リーダーシップ=優越性(dominanceあるいはsupremacy)」という固定観念がありうることには,うかつにも私は立教大学での11年間には気づきかなかった。気づいたのは,早稲田に来て,早稲田生の中に,かなりの頻度で,自分は優越性を示せると確信している(確信したい)ように見える学生が居たからと思われる(まさにその同じ理由,つまり優越性を示すことが必要だという思い込みから,立教生の多くは「自分はリーダーシップとは無縁」と思い込む人が大半なのかもしれない)。早稲田生のその思い込みの最も極端な現れは,グループワークで常にチームメートを「論破」しようと試みる場合である。(いま思うと立教にも時々そういう学生はいたが,どういうことなのかよく理解できずにいた)"(研究篇第5章本文より)
私の担当章では,研究篇でも実践篇でも,こうした立ち上げ期固有の発見や試行錯誤について書いています.
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中央は日高良実さんの多数の著書の一つで、たぶん最も初心者向きでパスタとそれ以外のバランスもよく、割安。もう品切れですが、中古で入手する価値があります。
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来月刊行予定のSusan Komives他著「リーダーシップの探求」(早稲田大学出版部)訳者はしがきの予定原稿です。書いているうちに熱くなって予定文字数をオーバーしてしまいました。
「訳者はしがき」をダウンロード
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必要あってピーター・センゲの『フィールドブック 学習する組織 5つの能力』を見ていたら、内省(reflection)の定義がありました。曰く「内省とは、考えるプロセスのスピードを緩めて、自分がメンタル・モデルを形成した過程をはっきり意識すること」(邦訳p.211)。じゃあメンタル・モデルってなんだ?というのも念のため書いておくと(これは意外ではないのですが)「メンタル・モデルとは、自分自身や他の人々、そして自分の所属する組織に対して、さらには世の中のどんな事象に関してでも、私達が心の中に抱いているイメージや仮説、ストーリーのことである」
内省という言葉、いつの間にか、ほとんど反省に近い意味で使っていませんか? 自分のメンタル・モデルを形成した過程をはっきり意識すること、という定義は明快で新鮮(これ私だけ?w)。例えばアクションラーニングで新たな「問題の再定義」が起きるのは、問題提示者が自分のメンタル・モデルに気づいた時なので、つまり内省が起きたときですね。そうした内省が、他の人から受けた質問に答えようとしたときに発生することが多いのはアクションラーニングの、そして多分コーチングの想定しているところでしょう。
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先週土曜日に、いまアクティブラーニングの高校への普及のために全国を精力的に回られている小林昭文さんの訪問授業(東京駒込・聖学院高校)を見学に行ってきました。実は私の関心は、アクティブラーニング授業のノウハウそのものではなくて、この頃の私の持論である「アクティブラーニング初体験の学生・生徒に対する教員のアプローチは実はリーダーシップ教育の初歩そのものと同じである」ことを、自分以外の教員の授業現場について、実地に確かめに行くこと、この一点にありました(私と私のチームの授業はリーダーシップ開発そのものの授業なので、リーダーシップ教育であるのは自明だからです)。以下は、この日の見学の正確で包括的な記録というよりも、この一点に関連することだけについてのメモです。
まず、聖学院の教員の方々は8月から小林さんの研修を受け始めているものの、この日の高校1年生たちは全員小林さんとは初対面で、アクティブラーニング的な授業も初めて。教員と、私を含めた外部の5人、あわせて二十人くらいが教室の後ろで見ているなかでの授業でした。聖学院高校は中高一貫制の男子校で、生徒同士は全員既に親しい様子。4-5人ずつのグループごとに、島状(ワークショップ式)に並べ替えた机に着席しています。冒頭のチェックインのあと、まず6つのルールの説明。きょうの授業では「しゃべる(私語する)、質問する、説明する、動く、チームで協力する、チームに貢献する」ことが大切。だから今まで高校の授業でやってはいけないと言われてきたことをどんどんやって「悪い態度」でいいんです、という話。このあたりで生徒が驚いているのが分かります。そこで「じゃあ皆さん、波と聞いて何を連想するか隣の人と話してください」で2分間。生徒たちが勝手に話しているのを小林さんは立ち聞きして「波動砲とか言ってますね」と拾って、「普通の授業と違う」という印象を持たせてました(授業前半ではここが唯一のインタラクティブな場面でした)。
授業コンテンツは高校の物理学の「波」の入門部分。(物理学のように、ただ一つの正解がある教科内容であることはこの方式にはプラスに作用するでしょうが、ただ、「波」は高校生が物理をわからなくになり始めるあたりであるという点は不利な材料でしょう)ルール説明のあとは50分間の授業のゴール設定。「一番最後に行う確認テストでクラス全員が100点をとること」。生徒はこれにも驚き、しかしまだ半信半疑の様子でもありました。
このあと15分間で密度の濃い講義があり「波」の要点をカバーしていましたが、この15分間では、ついていけない生徒が各グループにちらほら居る様子でした。このあと、グループごとで練習問題を解いて教えあう時間があります。「ふつうの授業では模範回答を先に見てはいけないと言われるだろうけど、今日は見ていいんです。それから友達同士で教え合ってもいい」と言い渡して、グループ内の相互学習を促します(ピア・インストラクション)。この間、小林さんは各グループを動きまわって「あと15分」等と何度か知らせ、集中を保つようにしていましたが、物理のコンテンツそのものについては教えてはいない様子でしたし、グループによって介入のしかたを大きく変えることもあまりしていないようでした。(この教え合いは、グループ内に正解にたどりつく人が誰もいない場合は機能しませんので、おそらく予め成績にもとづいて、優秀な生徒が各班に散っているようなグループ分けはされているのではないかと思われます。)
時間が来て、確認テストをして、やはりテスト結果にはばらつきがある様子なのですが、紙をグループ内で交換して採点させ、できなかったところについては添削したうえで○をつけさせます。この過程で、おそらく優秀な生徒たちは、教えたことで一層理解が深まり、内容が今ひとつ分からず、教えてもらったことで何とか救われた生徒たちも、不快感や落ち込みはなく授業を終われたでしょう。授業のあとに副校長の清水さんが説明したように「いまの高校生に皆無の自己肯定感を回復することもこの方式の授業の効果の一つです」。
さて、この授業方式のどこが「リーダーシップ教育と同じ」なのでしょうか。
1) 授業の最初に「この50分間の成果目標」を定めていること。
成果目標を定めて共有することはリーダーシップの必須3行動の第一です。何を成果目標にするかをメンバー自身が探して決める場合が一番高度ですが、会社で言えば上司にミッションを与えられて、それをどう達成するかは自由だというリーダーシップ(ミッション・リーダーシップと呼ばれることもあります)もあるので、それに近いと言えるでしょう。
2) グループ内で相互採点をして、「これを教えてあげるよ」「ここが分からない」「ここを教えてほしい」と生徒たちに言い出させる機会を作っている。これは1)の成果目標のために生徒自らが行動を起こすことです。
3) 一人が教え始めたら他の生徒も教え始めたり、一人が教わり始めたら他の生徒も教わり始める。それでもまだ教えない・教わらない生徒がいるとき、誰かがどこが分からないか尋ねて、理解を支援する。これは1)2)だけでは足りないときにグループ内で相互に支援して2)のような行動を促すということです。
実は1)2)3)は最近私が「リーダーシップの最少3行動」と呼んでいるもので(写真にある松下佳代編著『ディープ・アクティブラーニング』、勁草書房、第9章参照)、それぞれ短く言うと、「目標設定」「率先垂範」「他者支援」です。この三つだけではリーダーシップとして足りないという意見はいくらでもありうる(例えば「困難に出会っても実行し切る」や「厳しい決断をおこなう」「倫理に反する行動はしない」など)のですが、逆にこの三つのどれが欠けてもリーダーシップがあるとはいえないという意味で、「最少3行動」なのです。つまり、小林さんの授業は、生徒が2)3)のリーダーシップ行動をとることを促し期待していて、授業の成果はそこがうまくいくかどうかに決定的に依存しているのです。相互採点だけして、誰も教えよう・教わろうとしなかったらそこで終わりです。また、教わろうとしない生徒が残ってしまえば、未完成になります。
この日の授業では、教え合う・教わり合うはグループ内に閉じていましたが、クラス全体に向かって、あるいは教員に向かって、質問や意見を投げかけることを促すことも当然教員には可能で、それに応えて行動する生徒が出れば、それは次のステップの(つまりグループを超えてクラス全体を対象にした)リーダーシップの発揮になります。教員の側からみれば、それは次のステップのリーダーシップ教育の機会と言えます。
さらにその次のステップは何でしょうか? それはこの物理の教室以外での1)2)3)の発揮です。特にアクティブラーニングを目指してはいない他の授業のなかで、あるいは部活で、家庭で、学生・生徒がリーダーシップを発揮する機会はいくらでもころがっているので、教員が促せば、それはたちまちキャリアを拓くリーダーシップ教育の第一歩になります。アクティブラーニングの教室内では、教員がしつらえた補助輪のついた自転車を運転しているような状態ですが、その補助輪を段階的に上げていって自走できるようになれば(これがディープ・アクティブラーニング)、一人でキャリアを切り開くのにこのリーダーシップが非常に役に立ちます。
このように、アクティブラーニング型授業が、学生・生徒のリーダーシップに依存しており、リーダーシップを促す機会にもなっていることを教員と学生・生徒双方が意識することの意義は非常に大きいのではないでしょうか。特に、中学・高校・大学の(できれば複数の)科目でアクティブラーニングを行ない、そのなかで何週かに一度、教科内容から少し外れて「皆が今まで授業中にやってきたことは実はリーダーシップの第一歩で、生涯役にたつことの始まりなのです」と気づいてもらうことは、現実的で有用なのではないかと考えます。また、これは、優秀でありながらアクティブラーニングが好きでない学生・生徒(優秀で内向的な人たち)にも良い助言になるのではないでしょうか。そういう人たちに対しては、「内向的でいると損だからもう少し外向的になったらどう?」という助言よりも、「あなたの大事にしていることを実現するのに、他の人を巻き込めるとしたらどう?」といざなうほうが心に響くのではないでしょうか?
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新しい本(小生は章1つだけ分担執筆)が出ました。松下佳代京大教授編著『ディープ・アクティブラーニング』(勁草書房)です。執筆陣は、松下佳代さん、溝上慎一さん、エリック・マズールさん始め教育(工)学関係の凄い人たちで、一緒に書かせてもらえたのは大変光栄なことです。一昨年に書いた『大学教育アントレプレナーシップ』は、実践報告という面が強かったのですが、今度の論文では、もう少し理論寄りに書いたつもりです。一年近く前の海外出張の時に集中して書いていたものがもとになりました。月末か2月初旬に書店に並ぶそうです。
以下が私の書いた第9章の要旨です。
1) 新しいリーダーシップを涵養する科目は、自然にアクティブ・ラーニングになる。そればかりか、一般のアクティブ・ラーニング科目も全て、多かれ少なかれ学生の教室内のリーダーシップを前提にしており、学生がアクティブに学ぶための支援は、リーダーシップスキル涵養の科目内容に近くなる。
2) このことから、アクティブ・ラーニングの新しい定義として「学生のリーダーシップ発揮を通じた学習」が有用である。この定義は学習のソーシャルな面を含み、なおかつ学生支援として何が必要かのリストも作りやすい利点がある。
3) アクティブ・ラーニングがどれだけディープになるかは、アクティブ・ラーニング支援という補助輪(足場)を外していくことを行なって、学生が学校の外や卒業後も教員の支援無しで学習を組織できるようになれるかどうかにかかっている。
4) ただし、「内向的」な学生にとっては、学習目標にリーダーシップ涵養が入っていないままでアクティブラーニングを強いるのは、苦痛な迂回としてとらえられる危険がある。逆に、学習目標を明示したうえで内向的な学生にリーダーシップ教育を行う価値は高いかもしれない。
5) このように、リーダーシップ教育論は、アクティブ・ラーニング論やディープ・ラーニング論にとって、新しい強力なツールである。
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アクティブラーニングとリーダーシップの関係については以前にも書いた。今回は、さらに一歩進めて、アクティブラーニング論にとってリーダーシップの視点は不可欠であるという論文を書いた。ディープ・ラーニングに関する本の一つの章として夏には刊行される予定。以下はその論文の要旨。
1) 新しいリーダーシップを涵養する科目は、自然にアクティブラーニングになる。そればかりか、一般のアクティブラーニング科目も全て、多かれ少なかれ学生の教室内のリーダーシップを前提にしており、学生がアクティブに学ぶための支援は、リーダーシップスキル涵養の科目内容に近くなる。
2) ここから、アクティブラーニングの新しい定義として「学生のリーダーシップ発揮を通じた学習」が有用である。この定義は学習のソーシャルな面を含み、なおかつ学生支援として何が必要かのリストも作りやすい利点がある。
3) アクティブ・ラーニングがどれだけディープになるかは、アクティブラーニング支援という補助輪を外していくことを行なって、学生が学校の外や卒業後も教員の支援無しで学習を組織できるようになれるかどうかにかかっている。
4) ただし、「内向的」な学生にとっては、もし学習目標にリーダーシップ涵養が入っていないままでアクティブラーニングを強いるのは、苦痛な迂回としてとらえられる危険がある。
5) このように、リーダーシップ教育論は、(ディープ・)アクティブラーニング論にとって、新しい強力なツールである。
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大学教育アントレプレナーとは誰のことか? 新しい教育手法を発明する、というよりも、それを実際に授業に導入することを大学の中でやろうとすると、さまざまな障害や抵抗がありますよね。お金はないし、人も足りないし、制度も対応していない。
それを、あるときは手弁当で、またあるときは同志を探して連携し、公式でないルートでリソースを貸してもらったり、要るものはなんとか調達して、やっと成果を出せるようになると、公式に追認されて利用できるリソースが増えてくる。こういう過程はアントレプレナーシップと呼ぶほうがいいと思うのです。ですので、全国の大学で教育成果をあげるためにそうした創意工夫や苦労をなさっている教職員を大学教育アントレプレナーと呼んでいます。
日向野著『大学教育アントレプレナーシップ』ナカニシヤ出版、6月刊、1,200円
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