83 posts categorized "02. 海外旅行・出張記"

01/11/2012

Jordan England, Collaboration, in Susan Komivez et.al.(eds.),op.cit.(読書ノート)

コラボレーションは仕事を効率的にやりとげるためだけでなく、自分や他人について学ぶための強力なツールである。

多くの人が効率のためには競争が良いと考えてきたが、Kohn (1986) のようにコラボレーションのほうが競争より良いときがあると主張する論者が増えている。

cooperationとcollaborationの違い。collaborationは共通の目的を達成するために協力することであり、cooperationは目的は各人異なっていても譲りあう(ないし交換する)ことで目的を達成することを指す。

collaborationの過程でdiversityは(存在するだけでは充分でないが)group thinkを防ぎ、非常に大きな役割を果たす。[質問会議で「一見馬鹿な質問が功を奏することがある」というより、diversityを活用しようというほうが分かりやすいのではないか。]

collaborationのために必要な個人のcompetencies
・personal work 自分自身の価値観や感情を自覚していることが必須
・building trust グループのメンバーが決まった時点ではそれぞれ別のagendaを持っているのが当たり前。しかしそれを放置しておくと対立や不信のもと。これを解消するには、
 1) informal exploring(お互いのバックグラウンド、関心、優先事項、物の見方を知りあうこと),
 2) sharing ownership(struggle over control and ownershipが対立や不信の原因になりやすいので、全員がownershipをもつように工夫する。特にこのことは、positional leaderや、リーダーレス・グループで主導権を握りたがる人によくあてはまる)[ホノルルのAPLPのsilent classでも、「主導権を握りたがる人々」に対して「そんなのはdominationでしょ、leadershipとは何も関係ないわよ」とグッサリ一撃した女性がいた。http://www.mhigano.com/blog/2011/09/silent-class.html のちにこの女性は私の担当したアクションラーニングセッションでも見事なコーチぶり・メンバーぶり?を発揮した。http://www.mhigano.com/blog/2011/12/post-30d7.html],
 3) celebrating(small sucessを皆で祝うことは効果的)[これはKotterの8つの段階にも登場する],
 4) creating powerful, compelling experiences(group processの最初の方でrope courses[perfect squareのことだろうか]やoutdoor challenge tripsの経験を共有すると迅速にtrustが形成される。[経営学部が開設される直前の2005年に、perfect squareを教授会メンバーを対象に実施したのが、まさにこのexperienceであり、また、今思うと経営学部での教員FDの発端だった。http://cob.rikkyo.ac.jp/blp/1413.html また、BL2の学期の初めの頃に同じゲームをやっていた時期もあった。手っ取り早くtrustを形成するには飲み会なんかよりこのゲームを開催するほうが効果的というのも知っていて良いと思う。]

|

12/03/2011

ホノルルで質問会議(アクションラーニング)

 ホノルルは雨期に入って、ほぼ毎日のように少しずつ雨が降る。夜は気温が下がるので、短パン半袖では寒い日も多い。しかし雨は長くは降らないし弱いのでカサをさす人はあまり居ない。雨のあとに晴れ上がることも多い。英国の湖水地方出身のBarkerさん(APLPの責任者)は故郷の気候との類似性を感じるのだろうか、自分にとっては11-12月がベストシーズンだと言っている(短期間にビーチや山の景色を楽しみたいという人には、はやり乾季4-9月のほうがいいのかもしれない)。
 さて、9月に、映画「12人の怒れる男」における質問の使われ方という形で予告篇授業をおこなっておいたアクションラーニング(質問会議)を、今週日曜と月曜に、学生を対象に実施した。目的は、リーダーシップのための質問力の養成。学生たちは、前にも書いたように平均年齢31歳、22カ国から来ている42人(の中から希望した者)。全員働いた経験があり、学歴としては修士・MBAが普通でPhDやMD(医学博士)もいる。共通言語は英語で、ネイティブは半数強くらい。
 今回の実施設計としては、全日程二日間で、初日に4-6人くらいでまる一日かけてコアメンバーを養成する(本当はこのコアメンバー養成だけで2日間くらいはあったほうがいいが今回それは不可能)。そして翌日はコアメンバー1人につき4人の新メンバーがついてセッションを4つ行う。人数は前日まで分からなくて辛かったが、初日は結局5人。なので、一応は20人まで収容可能な体制ができて、事前の調査で14人手を挙げていたのが結局10人だったので、3グループで済んだ。シニアコーチが全体で共有するときのことを考えると、このくらいの人数(テーブルごとのコーチを含めて15人)までのほうがやりやすい。タイミングが最悪(朝一番に重大なレポートの締切がある当日とその前日)であったのにもかかわらず、適切な人数だったのは良かった(Barkerさんの人数の読みも正確だった)。
 初日は日曜午後。参加してくれたのは、米国、クックアイランズ、インド、中国、マレイシアの学生。最初の三人はネイティブだ。最初にスライドで30分ほど導入し、あとは50分のセッションを1つ、日向野がコーチとして行い、そのあとは希望者がコーチになって、結局13時から19時まで6時間、小休止をはさみながらおこなった。翌日はこの5人が核になり、3つのテーブルに5人が分かれて入るという、結果としては結構恵まれた設定になった(グループの中に経験者が二人いると質問の質が断然高くなるだろう)。二日目のほうはノンネイティブの比率がぐっと高くなった。
 コアメンバーの一人で普段はエモーショナルでクラス内で多少浮いているところのある米国の女子学生が、コーチ役になるとメンバーの表情を読むのが抜群に上手く、非定例介入を毅然としておこなうという新しい面を見せてくれたのが嬉しかった(私がヒラのメンバーとして加わったセッションでは、私の本質的な質問について、「Miki、あの質問、もう少し後だったらもっと良かったかも」と後でコメントしてくれた。同じくコアメンバーの中国の学生は夏ごろからこの講座に関心を示していて人一倍熱心だったのだが、クリアに短く表現するのが苦手なのか初日にはセッションのメンバーとしては苦戦していた(しかし後日、昔の航法で太平洋をカヌーで渡るので有名なNainoa Thompsonのスピーチセッションでは早速エドガー・シャインの質問法を使って安全を確認したうえで質問していた。)
 二日目だけ参加した学生も、ランダムにテーブルに座ったので、同じクラスで8月から同じ寮にいるとはいえ余り親しくない学生もいる中で結構個人的な問題を提示していて、アクションラーニングの効能(とくに問題解決面)を実感していたようだ。チームビルディングに役立つという面も、多くの人が驚いていて、コアメンバーの一人のクックアイランズとマレイシアの学生は「アクションラーニング自体面白いし、今年の学生の何人かは仕事でハワイに残るので、今コーチ研修をうけておいて、来年の学生のセッションのコーチになれば上下を結びつきもできますよね」(これはまさにBLPでSAがおこなっていることに近い!)と、いま候補探しの活動中。近々私も参加して追加セッションをおこなう予定だ。
 終わってから翌日以降に個人的にフィードバックをくれた学生も何人かいた。その中で、二日目から参加した米国人は、「この方式のセッションの良さを明確な形で示すには、第一セッションはアクションラーニング方式でなく普通の会議にしてみたらどうですか?」と意見をくれた。これは面白い提案。実施にはいろいろ工夫が要るけれども、うまく実行できればデモとしては凄いだろう。コアメンバーの一人のインド人(医師)は、「Miki、三つ直すところがありますよ」と言う。(1)How to better ask questionsという題名だと、一日で質問が上手くなると思い込んで参加してがっかりされる危険があるのでLearning outcomesをもう少し正確に表現したら? (2)前のと関係するが、ツールのパッケージではなくてプロセスを経験することが主眼であることをもっと強調してはどうか? (3)シャインの四つの質問のどれを今尋ねるべき時間帯かをテンプレートに追記してしまってはどうか?
 (3)はすぐ実行できる。(1)(2)は題名をHow to practice asking (better) questionsに変えることから始めようか。
 こんなに建設的なフィードバックをもらえて、しかも授業時間外にも追加セッションやって次世代に繋ぎましょうなどという提案まで出てきたので、初回としては大成功だったと言っていいと思う。授業時間枠をくれたうえにメンバーとして自らも参加してくれたBarkerさん、二日間合計11時間参加したコアメンバー、締切明け寝不足状態なのに長時間参加した他メンバーに感謝。

|

10/31/2011

ロンドンでリーダーシップの学会に参加してきた

 International Leadership Association (ILA)という学会の年次総会がロンドンで開かれたので参加してきた。ロンドンではごく限られた範囲しか移動しなかったのだが、その範囲内(ウェストミンスター駅、ウォータールー駅、議会、ベーカーストリート駅周辺など)では議会の周辺にテントを張って座り込み(寝込み)して抗議しているらしい人たちがいた他は、何も目立った暴動の痕跡は見えなかった。
 さてこの学会だが、学者も数多く参加していたものの、割合としては実務家がかなり多いのが目立った特色のようだ。それを反映してか、分科会各会場の雰囲気が非常にフレンドリーで、偶然隣に座りあわせた人が(ワークショップでもないのに)自己紹介してくることが多くて最初はびっくりした(これは学者中心の学会ではあまり起きないことだと思う)。そうしているうちに何人かに一人は非常に有益な情報を交換できる人がいたので、共有を重視する場合にはこれも理にかなったことなのだろう。800人余りの参加者が十数個の分科会に分かれる時間帯が多いのだが、同じテーマの分科会会場を選んだということはそれだけである程度関心の重なるところがあるわけだ。
 この学会は日本人がもともと非常に少ないようで、それらしい人(アジア系の人で、群れている人たちw)を全く見かけなかったし、分科会で私が手をあげて発言するとやや驚かれ、また歓迎されるのが分かった。日本から来る人が少ないのは日本の大学の学部レベルではリーダーシップ関係の科目、特にリーダーシップ教育(開発・発達支援)の科目がまだ少ないことの反映かもしれない。しかしこの学会には学部レベルのリーダーシップ教育の分科会がいくつかあったので可能な限り顔を出してみた。そこでまず気付いたのは、特に米国の学部レベルでは経営学やビジネスとはリンクの薄い(大きく分けると社会起業に近い)リーダーシッププログラムがかなり普及していることだ。学部後半の専攻(major)や副専攻(minor)としてリーダーシップを選択できるような大学はデュケインの経営学部など少数の大学だけなのだが、もっと低学年で、特に一年生だけの科目としてであれば数が多いようだ。また、そうしたプログラムの運営にStudent Affairs(日本でいえば学生部に近い)が関与することが多いのにも気付かされた。今回一番長く話し込んだのはジョンズホプキンズ大とバージニア工科大のリーダーシップ教育の責任者だったが、二人とも、参考にしている文献が我々BLPとはかなり違う。例えばジョン・コッターとかウォレン・ベニスは参考にしてないのかと尋ねると「ああ、それはかなりビジネス寄りのリーダーシップですよね」というような反応だ。代わりに数冊参考文献を教わってきた(誰か一緒に読書会やらんかね?といいたいところなのだが当分日本にいないのだった)。経営学方面というふうに最初に限定してリーダーシップ開発の本を探すとコッターやウォレン・ベニスに行くのは(米国でも)普通のことなので今まで気付かなかったのだろう。やっぱり時々新しいところに足を運んでみるものだと思った。

|

10/19/2011

就活・リーダーシップ・リベラルアーツ

 ローマに来る機中で倉部史記 @kurabe_s 著『文学部がなくなる日』を読んだ。題名から想像されるかもしれない「文学部の実態」のような本ではなくて、文学部の構成要素が「国際○○学部」「心理○○学部」などに再編成されて、結果として在来の文学部という学部がなくなる大学が続出しているくらい、いまの大学の環境は激変し、環境変化に対応して大学側も急激な改革を強いられているというごく真っ当な話で、多々学ぶところがあった。
 私のいまの仕事に直接ヒントになったところを二つとりあげて感想を書いておきたい。第一は、p.182「企業が自分に何をしてくれるか期待する就活学生」。「就職活動をする大学生を見ていて気になるのは、『あなた方企業は、私に対して、何をしてくれますか?』ということばかり気にしている学生が多いということです」「行った先の企業が自分の人生をランクアップしてくれるのだ、所属する組織が、どこか素敵な世界に私を連れて行ってくれるのだ、という考えが見え隠れしている」「企業の側は、『あなたが、わが社を、どのように良くしてくれるのか』に関心があるのです」「学生は、企業は従順な人材を求めていると思い込んでいるかもしれませんが、『私がやりたいことを実現させるために、御社の環境が必要なんです。これは御社のビジネスにとってもプラスです』くらいのことを語る学生のほうが、自社に何かをもたらしてくれるだろうと考える企業人は少なくないはずです」(p.183-4から抜粋)
 全くおっしゃる通りだと思う。で、これは翻訳すると、実はリーダーシップの欠如の問題なのだと思う。高校生・受験生の大半は、徹底的な消費者スタンスで大学に入ってくる。消費者は、価格を含めて何か気に入らない物に出くわすと、避ける。気に入れば、買う。もし買ってしまってから、気に入らないのに気付いたのならば、苦情を言うこともあるが、積極性はそこ止まりである。自分の気に入るような物を自分で創り出してしまうとか、相手が作ってくれやすくなるような提案をするとか、その相手を巻き込んで自分と一緒に作り始めるといった行動にまでは至らない。これらは典型的なリーダーシップ行動である。他人に影響を与えて一緒に成果を出せるように行動する(相手は企業でも大学でも仲間の学生でもよい)体験、特に初期に小さくてもいいので成功体験があれば、倉部さんのおっしゃる「自分のなかのスイッチを切り替え」る。そしてリーダーシップをとることの意味に気付くのである。
 そういうリーダーシップは大学で言えば専門科目の勉強のためにも、また社会に出てからの職場学習においても決定的に重要なので、大学で専門科目と並行してリーダーシップ発達支援を行う価値は大きい(立教大学経営学部が、リーダーシップを車の前輪、専門科目を車の後輪としている所以である。)言い換えると、大学の教員が学生に対して「勉強は一人でやるものだ」という、研究者としての自分の経験をいまや押しつけるのは、学生が研究者を目指さないほうが普通になった現代では時代錯誤なのである。(なお、ここで言っているリーダーシップは、○○長のような、任命されたリーダーの、権限の使い方ではないし、、逆に、カリスマのことでもない。最近この事情をとても分かりやすく説明してくれる有りがたいエントリーに出会ったのでぜひ参照してください。~ちきりん日記 なんで全員にリーダーシップを求めるの? )

 第二は、「リーダーを育てるリベラルアーツ学部」について(p.68)。大勢の人をリードする人材の養成のために歴史や哲学のような一般教養やリベラル・アーツを教える取組の人気が上昇中であるという。しかしこうしたリベラル・アーツは、上記のようなリーダーシップのない学生が学んでも、彼らは他人を巻き込んでプロジェクトを起こし総合的判断力が発揮するような場面にそもそも遭遇しないので、学生がリベラル・アーツ科目に興味を持てた場合にもせいぜい個人的な趣味の対象になるだけであるし、興味を持てなければ広くて薄くて退屈な科目になって誰もハッピーになれないだろう。従って、リベラル・アーツ科目は、リーダーシップ・スキルを身につけた後に(あるいはリーダーシップ・スキルを充分に身につけた学生だけを対象に)教えられるほうがいいのではないか。米国の学部段階でのリベラルアーツ教育が失敗したと言われるのも、この点をあいまいにしたままだったことも一因なのではないかと推測する。

(古代ローマの偉大なリーダーたちの足跡のあるローマにて)

|

09/12/2011

プロたちの集う教室

 「12人の怒れる男」の感想を学生に尋ねていたら、ほとんど例外なく好評だった。「質問力から見た『12人の怒れる男』」も良かったですよ、と言ってくれる人も多くて、あの講座はいつ開くんだ?という問い合わせも多数いただいた。ありがたいことなので充分準備して臨みたい。映画の使い道については、今回は1) 「影響力」の使われ方の例として、2) 質問力講座への導入として、の二つだったけれど、他にも例えば「偏見」(人種や世代や年齢など)の例証にも使えることにも気付かされた。
 昨日ランチに一緒に行った学生たちと話していたのは、結局クラスの中でよく発言しているのは、いつも決まった数人ということ。質問力(というか質問して成功する体験)をつければこの状況は少し変わるのかもしれない。というのは、内容は100%分かっているのに発言しない人が(nativeにもnon-nativeにも)多数居るし、逆に、よく発言する人でもよく分かったうえで発言しているとは限らない(これはnativeに多いかなw)。しかしとにかく発言した人は授業の進行にかかわることになるので本人は理解度が上がったりモチベーションが上がるのは間違いないし、教師も、少なくとも授業中は(皆の目をみて理解度を把握するのはもちろんだけども)、発言する人への対応をどうしても優先しがちになる。
 大学を卒業して勤めたり起業してプロとして過ごしてきた人たちなのに、また学校に来るとkidsに戻ってしまって自分勝手に行動している気がする、と言っていた人がいて面白かった。授業料を自腹で払っているので消費者気分がどうしても混入してきてしまうのでしょうかね。この「自分勝手」というのは、授業中に眠ってしまったり、遅刻したりということを指しているようだったけれど、授業中の発言や質問についてはどうなるのでしょうね。分からないことがあったときに、もしかして他の人は分かっているのなら迷惑かもしれないと考えて遠慮するのがプロなのか、それともプロ同士で時間を共有しているのだから自分の考えたことを共有しないほうがいけないことなのか。どうも後者が正しそうですね。

|

09/11/2011

Silent classの振り返り

先日ログを書いたハイフェッツ風Silent class(ま、silentなのは教員だけで、学生のほうはそんなに沈黙してないわけですが)は午前中3時間行われ、午後は2時間かけて振り返りでした。振り返りの内容は企業秘密かなと思って書かなかったのですが、全然構わないってことなので、忘れないうちに書いておきます。おおむねハイフェッツの本(いま手元にないのだけど、「最前線のリーダーシップ」その他)に書いてあることに従っていて、

まずadaptive leadershipとtechnical leadershipを説明。解決されるべき問題が明確に分かっていて、専門知識や技術をどう調達してくるか・動員するかがtechnical leadership、対照的に、何が問題でどうしたらいいのか分からなくて、試行錯誤と学習を繰り返すしかないときに、それでも成果をめざして行動をおこすのがadaptive leadershipです。両方だいじなことなのですが、今回はadaptive leadershipとは何かということを経験的に学ぶということです。この二つを区別する例として挙げられていたのは・・・年老いた父親がしょっちゅう車をぶつけて息子のところにやってくるようになった。そのとき何も言わずに修理を手配するのがtechnical leadershipで、父親に座るようにすすめて「父さん、もう運転はやめるべきなんじゃないかな」と切り出すのがadaptive leadershipだと。

technical leadershipで片付きそうかどうか見極めるdiagnosisが非常に重要で、それで片付きそうにない問題にtehnical leadershipで対処しようとし続けるのがよくある大きな間違いだ、と。さらに、権限authorityを使って解決しようとするのもtechnical leadershipを選択しようとする一つの兆候である。またadaptive leadershipは試行錯誤なので、ダンスフロアとバルコニーの間をしじゅう往復する必要がある。

概略こうした説明をしたうえでグループで下記の振り返りをおこなっていました。

Q1: How much time did you spend on diagnosis this morning?
Q2: Did you take the silence class as technical problem or adaptive challenge?
Q3: What was the adaptive challenge this morning?
Q4: When and why did you resort to authority?
Q5: Were there times when you were outside of PZD?
Q6: Were you able to move back and forth from the dance floor and the balcony?
Q7: Which interventions were successful and why?

この授業を実行するのは教師としては勇気が要りますね。担当しているBarkerさんも「年間とおしてこの回の始まるときだけはドキドキする」と言ってました。ニューヨークのMBAに行っていた学生はこれの三日間ぶっつづけバージョンを経験してこともあるそうです。

私から見ると、今回は導入も念入りだし振り替えりの仕掛けもよく整っていると思うのですが、きょうランチに一緒にいった若い学生は「なんだかここの授業ってリーダーシップに特化しているのはいいけど理論と実際の橋渡しがよくできてないよな」とか批評していたので、「ほらこの前のsilent classで橋渡ししたじゃないか」と言ったらポカンとしていたので、ほんと全員に意図を分かってもらうのは難しいものだといつもながら思いました。

|

09/10/2011

APLP持ち寄りパーティ

昨夜おこなわれたAPLP公式の持ち寄りパーティ。これに数人加わると全員です。この中に僕を含めると日本人は4人か5人いるはずです。40人で20か国なので、日本人は国籍別には圧倒的に最大勢力ですが、もっとも静か。こういうのサイレント・マジョリティって言う?(違

料理の写真はないのですが、アジアやインドの人たちが作ってきた料理が凄く美味しくて感心しました。インドの男性の持ってきたのが特に美味かった。主任教員が"APLP potluck is the best restaurant in town."と言ってましたが、本当にそうかもしれません。僕のペンネ・アラビアータは1kgも作って(他に20人も持ってくるとは予想せず)、後半ペンネがノビノビになってしまいました。

Aplppotluck2011round1

下の写真は学生寮。APLPはEast-West Centerの中の一部門なので、他の部門の院生たちもここ(ともう一棟)に混ざって住んでいます。中は共同キッチンがあって炊飯器が並んでます(たぶん近日中に出張料理予定なので、忘れなければ撮影してきます)。

Halemanoa

本部棟。この中に事務部門と研究室がまとまってはいっています。僕のオフィスは4階建ての3階。

Burnshall

室内は米国東部のボストンやニューヨークの大学ととてもよく似ていて既視感があります。ただ、廊下の壁にかけてある絵画が豊富なので楽しいし、慣れないうちには絵を目印にして迷子にならないようにできます。廊下の奥にあるマオリ族の絵が僕のオフィスへの目印。

R0011168

ここを右に曲がります。

R0011169

オフィスの机の配置を変えてみました(窓を背にして座れという古い原則にしたがってみました)。左奥にあるいかにも古そうなCRTは支給されたDellのパソコンので、あまり使わないので本体は床に下ろしています。

Office


|

09/07/2011

Silent Class

 ハイフェッツ教授の「バルコニーとダンスフロア」という卓抜な比喩についてはこれまでにも何度か書いた(こちらや、こちら、最近ではこちら)。同教授の名物授業のパターンの一つに、教室に到着した教授が何時間も何も言わないで教壇の椅子に座ったままで居るという実験がある。この実験をAPLPの学生40人でやってみるのが本日(現地時間9月6日)の献立である(もちろん学生にはそうとは知らされていない)。
 教室に定時前に着いた教員は、いつものように学生や他の教員と談笑していて、これから何か特別なことが起きるという予感はない。不自然感もない。また、事前に渡されている教材には「adaptive leadership」と書かれていている。時間割は9時から11:30まで予定されている。以下、クラスの動きやリーダーシップ、つまりプロセスに変化があるところを●、そうでなくコンテンツだけの変化のところを○をつけてログをとってみた。
●9時00分、定刻になると「きょう教室に入ってきたときに、何を忘れて(let go off)何にフォーカスしたらいいか、各班で2,3分話し合ってください」と教員が導入。これはハイフェッツ教授の方法(と伝えられているもの)より相当親切でリスクの少ない方法だ。特にこの学校の場合、フォーカスはリーダーシップにあることは最初からはっきりしているので、2,3分同僚と話せば、リーダーシップ周辺に落ち着くだろう。
○次に「リーダーシップの授業をきょう皆さんが教員として担当するとして、何から始める?」と学生に尋ねる。「ゲームなんかどうですか?」「small group discussionは?」「映画は?」「きょうのbreaking newsについて話すのは?」などの案が出てくる。教員は「良い提案だがその案のpotential dangerはなんだろう?」と反問。学生はdangerについてそれぞれ答える。ここで
”Do you think leadership can be learned?”と問い、学生は”Yes”と答える。これについてはYesでないとここに来ている意味がないよ、と念押し。続いて
”Who is responsible for learning leadership?”と問い、学生から”Individual responsibility”という答えと「いや、そうじゃないだろ」という意見もでる。
●教員が「ここにある二本のボトルはleadership tonicだ。飲めばleadershipが身につく。“devotion, courage and sacrifice”と書いてあるのがタイ版でよく売れた。二本目のこれがアメリカ版で”heroism”と書いてあるが全然売れなかった[これらはハイフェッツのいうleadership with easy answersの例]。三本目はemergent leadershipという名前だが、まだ開発されていない。What does it look like?」と問いを投げかけて教員は座り、黙り込む(ここで開始30分経過、以下、ここを0分とカウントしてログを書こう)。主担当教員二人は前のほうに座って顔をあげ、黙っていて、ノートをとったりはしていない(これはずっと続く)。
●3分後、島型に座った各班でひそひそ話が始まる。インドの学生が教室全体に向かって何か言おうとしてやめる。教員は(主担当が二人)何かしているのではなく教室全体をじっと見ている。じっと見ていることは学生にも分かる。教員に「これから何か話すつもりですか」と問いがあるが目を向けるだけで答えない。「何か話してくださいよ」という要請も無視。
●5分後、インド人の学生が教員に近寄って話しかけるが効果無し。そこで最年少の中国の学生が全員でのダンスを提案し音楽を流して、教員の目の前で踊り始める。学生の三分の二くらいが参加する。いつも発言力のある中国系アメリカ人?の女性がこれに同意して参加を呼びかけると参加者がやや増える。しかし長続きしない。
●7分後、結局全員座ってしまう。三人くらいの学生がこれから何をしようか?と教室全体にむかって提案を始める。教員二人は厳しい顔を崩さない。参観の教員に相談に来る者もいるが同じように無視される(打ち合わせ済み)。
●9分、年長の学生が教材に”emergent leadership”って書いてあるぜとremindする。リーダー格の中国系アメリカ人が自分のパソコンを使って何かプレゼンを行なおうとする。画面が移らないので音声だけ流す(たぶん彼女のお気に入りのリーダーシップに関するインタビュー集)。終わって僅かに拍手がおきる。
●11分、男子学生一人が他の二人に手伝ってもらってホワイトボードを持ち出し、”Observe, interpret and intervene”と書いて、教員スタイルでリーダーシップの三要素という話を始める。大部分の学生は一応熱心に聞いている。ここまで”What do we know about leadership?”について持論を披露しあわないかと提案。
●15分、9分目にreminderになった年長の男子学生がこの提案に応じて自分の経験にもとづいた持論を話す。続いて年長の女性も皆の前で話す。しかしこの二人は持論を話すだけで質問をとることをしない。質問も出ない。この二人の話自体もインタラクティブではなくて固い(準備をしていないのであるから無理もない)。ただ、一人目の話とリンクはしている。
●19分、三人目の志願者(インド出身)が前に出る。彼は、二人目とともに、普段から発言の頻度も長さも大きい常連ではある。自分のパソコンにあるお気に入り?の文章を朗読し始める。
○21分、三人目終了。主担当教員にまた誰かが水を向けるが無視される。ここで初日に活躍した冷静で若いアジア系(香港?)の学生が立ち上がり、「これで11時半まで持つかな」と言いながら質問を皆に向ける。「ここまでの授業のコンテンツは皆全部理解できたかな?」これに対しては今まで発言していなかった学生たち(ラオス、モンゴル)からも手が上がり率直な振り返りが出る。
●26分、「実のところ50-60%くらいしか分からないよ」と言う答えに「どうしてだろう」「英語の問題」という答えもでて、数人から賛同の声があがる。(インタラクティブになり、参加者も増えて、「時間つぶし」「つなぎ」の感が減ってくる)。二番目に志願した多弁な(訛りの強い)女性から「本当に英語の問題なのか」というきつい突っ込みもでる。
○32分、司会役の学生が「50-60%しか分からないと言ってた人たち、理解度は上昇してる?」と水を向ける。すると普段黙っている学生の数人から反応があり、ネイティブなアジア系の学生の一人から「言語的には完全に授業は分かるが、コンテンツは理解できないものが多々ありプレッシャーは感じているということは言っておきたい」と発言。
●37分、ここで初めて日本の学生から発言。英語の勉強が不足しているが、しかし今は皆がサポートしてくれているので英語力は向上していると感じている。ただ、もっとうまく英語を話せればもっとクラスに貢献できるのに、今は自分はuselessと感じている。皆から毎日メールをもらうけど50%しか分からない。
○41分、モンゴルの学生からそれはノーマルで、誰でも問題を抱えているはずだ、と。別の学生からも、英語も問題で困ったらすぐその場でさえぎって聞き返してくれと申し出。
○46分、最初にダンスをリードした最年少の学生が、それじゃあ、これからサーバに毎日のノートを載せるよ、と申し出。別の学生からそれは良いが、それ以外にも何か必要かも、と。別のnative speakerの学生から、プログラムが始まって二週間経って良い転換点かもしれないので、non-native speakerの学生たちにとっての問題をこの際リストしてその解法を一緒に考えようと提案。ホワイトボードにproblemsとsolutionsと大書。モンゴルの学生から、しかし英語は自分の責任なんじゃないかとも。
○52分、別のアジア人の学生「英語の問題そのものがbiggest problemなのじゃなくて、クラスに積極的に参加するのを支援しあうほうがいいのではないか」
○55分、モンゴルの学生から「英語については甘やかさないでほしい」。
●57分、しばらく黙っていたリーダー格の女性の一人が立ち上がって、これはリーダーシップじゃなくてdominationじゃないか、もう我慢できないと叫び、教室を出て行こうとして皆に制止される。
●60分、この問題を考えながら5分休憩の提案。これに従い皆休憩モードに入る。
●66分、トイレから戻ってきた学生たちもいくつかのグループ(必ずしも最初に座ったいつものグループではない)単位でかなり真剣な様子で話し合っている様子。雑談している学生も居ないではない。一人のアジア系の女性が教員のところに近づいていって話しかける。教員はじっと聞いていて頷くくらいはするが、言葉は発しない。
●70分、この学生は食い下がっているので教員はやや困った様子で、頷くのと首を横に振るくらいはしている。別の学生が参観の教員のところにきて質問する。教員は反応しないように努力している。他方、グループ単位の雑談・話し合いはなかなか終わる気配がない。
●73分、一人が、全体会を始めようという身振り(手を挙げ、それにきづいた人が手を挙げ、リレー式に皆が反応して静粛になり授業が始まるというAPLP恒例の授業開始儀式)をして皆が反応。先ほどdominationを論難した女性の姿はない。
●84分、このchaotic messは感情の動きがあって面白いという発言。年長の学生から、こういうことはどの組織、どの会社でも起きることで、一部の人は話すと快適だし、そうでなく黙っているのが快適な人もいる、居なくなる人がいたり怒る人がいてもそれも普通のこと、それがこのプログラムの前提ではないか、と。女性から、
●90分、しかしそれにしてもこの午前中を無駄にしないためにはproblem-solutionを考えておきたい、と。ホワイトボードにclass activities, assignment (discussion and own task)と大書。
●94分、dominateという論難の意味が分からないという発言(dominate発言の当人はいない)
○97分、non-nativeの学生をどう支援するかという話に戻る。モンゴルの女性がいやいや、そういう支援は要らないからとにかく話しかけてくれればいいのだと提案する。
○101分、中国の女性が立ち上がって、私は二つのグループに属している。一つのほうは全員に話させるので素晴らしいが、もう一つはそうでもないので残念だ、と。最年少の学生(ほぼnative)が、特定の人ばかりが話しているのがdominationだとすると、確かによくないかもしれん、黙っている人がいたら私はもっと指名して話させたい、と。
○105分、一人の多弁な女性が全体をしめくくろうとしてか、無知の知のようなことについて語り始めやや混乱する。
●114分、ランチにしようか締めくくりにするかしよう、という提案があり、司会役の一人の学生の一人がここまでの議論のいくつかを要約する。dominationについて怒った女性が帰ってしまったが、その行動が間違っていたとは考えないほうがいいのではないかと提議。間違っていたどころか、問題にきづいたという発言あり。他に二人の男子学生からこのクラスは貴重な機会を提供してくれるという感想の発言があって拍手で終わろうとする。
●119分、教員がやおら立ち上がり、このクラスは今朝どう始まったか、どうして教員が150分間なぜ話さなかったかのか昼休みに考えておいてくれ、と。解散すると、かのdomination発言女性は廊下にいて、他の受講生と話し始める。教員は教室に残っていた学生と雑談している。午前中に学生がとった言動についてのコメントはまだ避けているように見える。

ここまでが午前中の動き。このあと二時間たっぷりと振り返りがあった。

|

09/06/2011

「十二人の怒れる男」たちの質問力

12angry2

 East-West CenterのリーダーシッププログラムAPLPの第11期生(G11と呼ばれている)は、今週木曜に映画「12人の怒れる男」を教材にして”Influence”についてディスカッションをすると予定表にある。涼しくなってきたのでいいのだが、この映画は暑苦しい。映画のセッティングも真夏のニューヨークの裁判所の陪審員室で、冷房もないところで12人の男たちが議論しあう二時間弱である。
 この映画は、実はBLPでも教材に使うことを検討したことがあるし、、内外の多くのビジネススクールでも教材として使われている。多くの場合は主役のNo.8(陪審員番号8番の男、最後に本名がDavisだと分かる。俳優は、いつも格好良すぎるのが困りものだがまさに適役のヘンリー・フォンダ)が、1対11という圧倒的少数から始めて、議事進行方法に関する提案と議事内容の発言をいかに巧妙に組み合わせるか、とか、いかに周囲を説得していくか、というリーダーシップについての教訓を得るために教室で鑑賞されているようである。そうした視点も面白いと思うのだが、ここでは、少し違う角度からもこの映画を見てみよう(他で既に似た視点から書かれてるのをご存じのかたは是非教えてください)。
 それは、絶対的少数派が、要所要所で質問をうまく使うことで多数派を巻き込み味方につけていく過程のことである。つまり、いわば質問力から見た「12人の怒れる男」である(以下この映画を見たことのない人にはネタバレになるので注意)。

 映画が始まって、陪審員が着席し、会議が始まってからしばらくはNo.8はじっと様子をうかがっている。しかしNo.10が、被告人の少年の話は頭から信じないのに証人の中年女性の話をそのまま信じているので、

18’09”
You don’t believe the boy’s story. How come you believe the woman’s?
と最初の一撃を質問で繰り出す。No.10は激昂して「きさま頭が良いつもりかYou are a smart guy, aren’t you?」と返し、おそらくは周囲の心証を悪くする。

続いて
25’09” Could they (witnesses) be wrong?
この後、やや芝居がかったナイフプレゼンテーションのシーンがあり、No.9を味方につけたNo.8は議事進行の主導権を握り始める。

40’53”
Has anybody any idea how long it takes an elevated train going at a medium speed to pass a given point? 
という質問によって証人の証言の信憑性を話題に皆を参加させることに成功する。善良なNo.2が「10秒くらいだと思う」と食いついてくれるし、次の
Has anyone here ever lived near the L tracks?
にはno.6が「ああ、ちょうどその沿線の家の塗装を終わったばかりだ」とこの質問に乗ってくる。

逆に、捨て台詞のつもりでNo.3が発した
43’20”
Why should he lie? What’s he got to gain?(証人が偽証する動機がないだろ)
という問いに、No.9の非常に重要な”Attention, maybe.”を引き出す。

徐々にNo.3が追い詰められていき、

58’38”
Are you his executioner? この挑発的な質問に乗って”Yes”と答えたNo.3をほぼ全員が見放し始める。

No.3やNo.10と違って終始一貫冷静で論理的なNo.4 (E.G.Marshal)が最後のほうまで有罪派に残っている。被告人の少年が家を飛び出して見に行ったという映画の内容を覚えていないという取り調べ結果に関して、No.8が発する質問は、

69’32”
Do you think you could remember details after an upsetting experience such as being slapped in the face by your father?
これに乗ったno.4が、自信のあるはずの記憶の危うさを自ら証明してしまう。

さらに、自由に質問できる立場になったNo.9が
84’15”
Aren’t you feeling well?
I was wondering why you rub your nose like that?
という質問をきっかけに、近視のNo.4の鼻の両脇についているメガネの跡や、目の間を揉むしぐさから、証人の一人で線路の向こう側から殺人を目撃したという女性が、実は強度の近視であることを証明してしまう。

対照的に、no.3,10らの質問は、形としては質問になっているときにも、返答を期待していない。例えば、What about the knife? と問いかけているのにすぐ自分の意見をかぶせてしまって対話にもっていくつもりがないし、何度も繰り返されるWhat the matter with you, guys?やHow do you like it?は返答を期待していない。あるいは43’20”のWhy should he lie? What’s he got to gain?のように返答を期待していなかったのに逆に相手方に強力な手がかりを与えてしまう。

このように、No.8/9の質問力にはNo.3/10と格段の差があり、少数派である間には多数派と対話に持ち込むためのツールとして、勢力伯仲してきたときには勝負する議論に引き込むツールとして、多数派になったときには駄目押しの一撃として効果的に質問を使用しているのである。これは実際に起きたできごとではないし、仮に起きたことであるとしても一回であるので、脚本にこう書かれてそれが映画化されているから質問の有用性を即証明するというのではないのだが、五十年以上前に書かれた脚本が繰り返し映画化され、それぞれが人々に愛好されているのは、一つにはNo.8/9とNo.3/10らのこうした話法の違いを含めて実際にありそうなこととして人々に認識されていることの現れではないか。

(下は写真はワイキキ西方の空。最近はこんな雲も見られるようになり涼しくなってきました)

Honolulusky_2

|

09/04/2011

ハワイでローマ史

 ハワイで古代ローマ時代に思いをはせることに特に必然性はないのだけども、例年通り10月に学生と一緒にイタリアに行く関係で休日にローマ史を読み返している次第。50年以上前に書かれた本だがインドロ・モンタネッリ著『ローマの歴史』(中公文庫)は非常に面白い。

序文から「このローマ史の連載が進むにつれて、私あての投書は日に日に憤激の度を加えていった。私は、軽はずみ、でたらめ、めちゃくちゃと叱られ、ある投書は私の文章を、神を怖れぬ行為だとして責め立てた。神聖視されている問題に対して、何たる扱いをするのかというのである・・・」こう書いてあれば、もう少し「立ち読み」くらいはしてみようかと思いますよね。序文は続く「・・ローマの歴史が偉大なのは、それが私たちとは違った人々によって作られたからではなく、私たちと同じような人々によって作られたからだ・・・カエサルは若いときには不良青年で、一生女道楽をやめず、禿をかくすために毎日念入りに髪に櫛を入れていた。こうしたことは彼の将軍・政治家としての偉大さと矛盾しない。アウグストゥスはまるで機械のように全時間を帝国の組織のために割いたが、同時に腹痛やリューマチといつもたたかわねばならず、カッシウスとブルートゥスを相手取った彼の最初の戦闘を、下痢のためにあやうく失うところだった・・」

もちろん本文になるとさらに面白くなる。王制末期のエトルリアとの戦いに関して「だがこの戦争は負けだった。負けいくさに武勇伝はつきものである。負けたときには『栄光のエピソード』を発明して、同時代人と後生の目をごまかす必要がある。勝ちいくさにはその必要がない。カエサルの回想録には武勇伝は一つもない」

紀元前三世紀の反ローマ連合軍との戦いに関して「この一連の戦争の戦略目標はアドリア海だった、と現代の歴史家は説く。だが私見では、ローマ軍は逃げる敵を追って自然にアドリア海に到達したに過ぎない。目の前に青い海が拡がるのを見た時、彼らは自分たちがどうして、またなぜ、ここへ来たのか、さっぱり分かっていなかったろう。ローマ人はまだ地図を持っていなかった。だから、イタリアがいわゆる自然の地政的統一をなしているとか、長靴形をしているとか、半島を掌握するには海を支配しなければならぬとかを、何一つ知っていたわけがない。ローマ軍はカプアの安全を保障するためにナポリを征服し、ナポリの安全を保障するためにベネヴェントを征服し、この論理でタラントまで達した。タラントの向こうは海だったから、そこで停止したのである。」

キリスト教以前のローマが外国の神々の移入に寛容だったことについて「外国人が大量に市内に移住する際に、異邦の寂しさを慰めるため、神々を同伴したのである。この新顔の神々の祭殿は外人たちが自費で建立した。ローマはそれを妨げず、かえって大いに歓迎した。政府も宗団も、無給で民衆を鎮撫してくれる結構な警察官に、文句を言う筋合いはないのである。」

このように数行だけを独立して取り出しても面白さが分かる箇所もあるし、一つのまとまった事件の叙述となるとさらに面白い。作家の辻邦生氏の推薦文は「・・・ローマ史は大体陰気臭いときまっている。ところがこれはそうではない。シェークスピア劇が連続上演されているようで息つく暇もない。人間臭さでむんむんする歴史である」。塩野七生著『ローマ人の物語』は全巻読破した私ですが、この本もまた新鮮でした。

買い物や食事目当てでイタリアに行ってもいいんだけど、その前に、これを完読して、BBC-HBOのDVD「ローマ」(前半)を見てから旅立とう!

|

より以前の記事一覧