リクルートワークス研究所『Works』第140号にインタビュー掲載
リクルートワークス研究所の隔月刊誌『Works』2-3月号特集「リーダーシップは誰のもの」にインタビューが掲載されました(p.17-18)。
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リクルートワークス研究所の隔月刊誌『Works』2-3月号特集「リーダーシップは誰のもの」にインタビューが掲載されました(p.17-18)。
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(写真は、ホノルル東方のSandy Beach,たぶん2013年頃)
同僚の舘野さんらと議論していて「リーダーシップ最小3要素」(目標共有・率先垂範・同僚支援,2015年3月「新しいリーダーシップ教育とディープ・アクティブラーニング」、松下編著『ディープ・アクティブラーニング』所収)の使い道と限界について思いついたこと。彼曰く、3要素について具体的にルブリックに落とし込もうとすると、どんな種類の行動にもそれぞれ率先垂範が出てきてしまうので、率先垂範は一つの独立したカテゴリとして使いづらい、と。全く同じことが、早稲田の授業に即してルブリックを作っていたイノベスト社からも指摘されていた。他方、最近一緒に毎月勉強会を開いている高校の先生方からは、生徒にリーダーシップを説明するときに3要素は非常に使い勝手がよいと言われる。大学生でも高校生でも、あんたは率先垂範すごいが同僚支援がイマイチだね、などとフィードバックしあうときにも使いやすいし、四字熟語で暗誦しやすいようにもしてある。
このギャップはどういうことなんだろうと、最初に3要素のことを考えついたときのことを思い出して、リーダーシップが有効で、しかも非常に単純な例を想像してみる。浜辺に瓶や缶などのゴミが大量に散らかっている。ある人がたった一人でゴミを拾い始める(率先)。彼の頭の中にはゴミが全く落ちていない美しいビーチが思い浮かんでいる(目標設定)。その人の様子を見て、「なぜそんな面倒な作業をしているのか?」と問う。彼は「この砂浜からゴミがなくなったら、昔のように、砂の上で遊べるじゃないか」と返す(目標共有)。そう言われて彼も一緒にゴミを拾い始める(率先が垂範に至る)。それを見ていた人が加わろうとするが、素手で危ない。そこで最初の男が手袋を貸してあげる(同僚支援)。
この例では目標はゴミが全くない美しいビーチ。そこを目指して、ゴミを拾うという単純な作業を繰り返せばよい。ごく単純な作業で、人数が増えれば増えるほど早く作業が終わる。個人の得手不得手や個性や特殊技能は要らない。ダイバーシティや自由な発想もほとんど出番がない。このような場合には三要素はほぼ紛れなく定義できる(物理学における真空状態や、経済学における完全競争のような、理論の出発点でもある)。
ところが、ゴミを拾うという一つの作業以外に、別の種類の作業(行動)が必要になると事業が違ってくる。拾うだけでは片付かず、実は拾ったものを大きな袋に入れて運搬するという作業が必要で、そこについてもそれぞれ目標共有・率先垂範・同僚支援がある。また、ゴミ拾いグループと、ゴミ運搬グループの間で目標が完全に共有されているというヨリ高次の目標共有も必要になる。さらに、作業と作業の間に相互作用や相乗効果、あるいは逆に交叉(クロス)副作用があったり、個人個人の得手不得手がはなはだしかったり、特殊技能があると効率が全く違ったりする場合になると、それぞれの作業分野で率先垂範や同僚支援がいちいち発生する。そうなると、全体を俯瞰したときに三要素が並列した形では観察しづらくなる。
このように、リーダーシップの3要素だけでリーダーシップ現象を説明し尽くせるのは、砂浜のゴミ拾いのような(しかも運搬は無視するような)単純な場合であり、高校生活で日々発生するニーズに対しても、生徒が自発的にリーダーシップを発揮して対応していくのは、単純作業をこなす人数を動員するところが焦点であるだけに3要素で説明したり体験したりできる部分が大きいのだろうと思う。
追加的にいろいろな条件が加わっていけば3要素のどの要素がどこにあるのかわかりづらくなっていく。しかしそのこと自体は、どんな抽象モデルにも起きることであって、リーダーシップ最小3要素の考え方を価値を減ずるわけではないのである。
もともと「最小3要素」のアイデアは、2013年頃、ある企業のコンサルティングで、若手がついてこない・自発的にやってくれないのをどうしたいいかと相談を受けて、考えついた。クーゼス&ポズナーの5つの要素のうち”Challenge the process”(いままでと同じ方法でいいのか疑ってみる、という意味)は、この場合要らないので省略。あと4つは多いので(笑)、学生にも覚えやすいように何とか合併して3つに縮減してしまったのが3要素である。そのときに砂浜のゴミ拾いのような単純作業の集積を念頭においていたのだと思う。
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