伊賀泰代著『採用基準』(ダイヤモンド社)を読んで
伊賀泰代『採用基準』(ダイヤモンド社)を読みました。読みながらこれほどマーカーで思わずたくさんの箇所にマークした本も久しぶりで、会う人ごとに薦めています。題名の「採用基準」は、著者がマッキンゼーで採用担当だった12年間にはどういう基準で人材を採用していたか、という意味と、そうした人材はこれからの日本に必要な人材と同じである、という意味と両方が込められています。で、その基準なのですが、これが実に、「リーダーシップ」なのですね。「実に」というのは、権限に関係なく「全員で発揮する」タイプのリーダーシップなので、まさに立教大学経営学部で涵養せんとしてきたリーダーシップそのものです。そして、そうしたリーダーシップが、日本で普通に意味される「権限やポジションにもとづくリーダーシップ」といかに異なるかを、極めて説得的で明快な形で説明しています。私も、これまで米国のリーダーシップ文献で「権限のないリーダーシップ」のことはよく知っていたつもりでしたが、それが日本の組織で言われるリーダーシップとどう違うかについては、当然ながら米国の文献にはあまり載っておらず、また日本の文献にもほとんど見当たらず、私自身も書くに至っていないので、本当に面白く読みました。
いくつか印象的な箇所を紹介しておきましょう。「船頭多くして船、山に登る」(この格言は三十代以下では知らない人も少なくないらしいのですが)で船を山に向けてしまう船頭たちは、実はリーダーシップのない人達なのだ、という洞察(p.69-70)。「このことわざの船頭は、リーダーでも何でもなく、単に頑固でわがままな人です。このことわざは、『自分の意見を通すことだけにこだわる人が多ければ、組織としての成果は出せない』という当たり前のことを示しているに過ぎません。(中略)『そんな若造の意見を採用するなんて!』と不満をもつメンバーを納得させ、チームをまとめていくのがリーダーシップです。」 日本人の標準的なリーダーシップ観の反映されたことわざを使っていて、なおかつ明快。素晴らしい。
「実はリーダーシップを考える時、常にセットで考える必要があるのが『成果主義』なのです。成果主義とは『努力でもプロセスでもなく、結果を問う』という考え方であり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。(中略)『楽しければよい』状況で求められるのが、せいぜいのところまとめ役や調整役にすぎないのに対し、成果を達成するためには必ずリーダーシップが必要となります。」(p.86-89) ここで言う成果主義は、個人の報酬算定の根拠としての成果主義のことではないので、「成果指向」とでも呼んだほうがいいのかもしれませんが、そんな細かいことはさておき、リーダーシップと成果指向の不可分の関係は意外に盲点です。大学生に身近なところで言えば、就活の面接でよく聞かれるという、大学時代の同好会やサークルの運営で苦労しましたという話は、事実であっても、全然リーダーシップを表しているわけではないことになりますね。体育会のように明快な成果が求められる環境ではリーダーシップが必要になり、しかもそのリーダーシップは(部長や主将だけが発揮するものではなく)全員が発揮すべきものであるのも筆者の言う通りと思います。
「なぜ日本では、リーダーが雑用係になってしまうのでしょう? その理由は、日本人が『リーダーは組織に一人いればよい』と考えているから、リーダーは、本来求められる責務に加え、雑用まですべてを担当させられるのです。(中略) 日本人にとっては、全員がリーダーシップを発揮するということ自体が『不思議な概念』なのです。そして、『リーダーが決まったのだから、その人が全てをやるべきだ』という誤った考えが、リーダーを雑用係にしてしまうのです。」(p.106-107) リーダーが雑用係までやらされることが見えていて、しかもご丁寧に「言い出しっぺがやるべきだ」などという通念がある組織なら、イノベーションを言い出す誘因は極めて低いことになります。この点は大学も大差ありません。
「(前略)組織のメンバーを奮い立たせる目標を設定することは、リーダーの重要な仕事のひとつであり、自分の性格に合わないからやらなくてもよい、という類のものではありません。このことをよく理解している経営者は、たとえ自分に生まれながらのカリスマ性が備わっていなくても、努力と工夫によって「みんなを奮い立たせるゴールを提示しよう、と考えます。そもそも、簡単に達成できる成果目標しかないのであれば、その集団は最初からリーダーを必要としていません(前述したように、組織の規模が大きければ、管理職は必要です)」(p.119) この部分で筆者の言う「生まれつきのカリスマ性は持ってないけれども、高いゴール設定が必要だと理解しているリーダー」は、ジム・コリンズの「Good to Great」(邦訳「ビジョナリー・カンパニー2」)に登場する、カリスマ性や派手さはないが、高い目標をかかげて粘り強く進む経営者たちにそっくりです。
「一般に日本の企業は、深い専門知識をもつ人を高く評価します。それなのになぜ博士号取得者を積極的に雇わないのでしょう? 私はその理由を、彼らが『専門知識しかもっていないから』だと考えています。もし彼らが専門知識をもった研究者の卵ではなく、「専門知識をもって問題解決にあたることのできるリーダーシップ・ポテンシャルのある人」であれば、民間企業への就職状況はまったく違ったものになったはずです。」(p.176-177) これはまさにリーダーシップは自転車の前輪、専門知識は後輪、ということですね。
そして、日本でのリーダーシップ教育について。「特に問題なのは、英語力に関してはそれなりに危機感が持たれているのに対して、『リーダーシップの欠如』に関しては問題意識さえ欠落している、という点です。(中略)『リーダーシップを小学校から教えるべきか、中学校から教えればよいか』という議論を聞いたことがあるでしょうか?」(p.61) そう、高校までで全然教えてきてないのにグローバルには急に求められるので、いまや大学で教えるしかないのだというのが私どもの見解です。本書を読んで、私どもが七年間やってきたことがやっぱり間違っておらず、将来性のある事業であると励まされた気がするとともに、BLPではまだ不徹底な点や拡張・改善の余地があることにも多々気付かされました。
| 固定リンク
「07. 本と言葉」カテゴリの記事
- 高校生からのリーダーシップ入門(2018.12.09)
- 新刊『リーダーシップ教育のフロンティア』(舘野・高橋編著,中原監修・著,北大路書房)(2018.06.01)
- AOPで始める自炊用パスタのレシピ(付録):イタリアン巨匠たちのレシピ本(2017.11.08)
- 「リーダーシップの探求」訳者はしがき予定原稿(2017.03.09)
「05. Leadership」カテゴリの記事
- note試運転中(2022.02.23)
- 「心理的安全性」より「衝突安全性」がよいのでは?(2021.10.11)
- Zoom as an Equalizer(2020.07.30)
- ILA理事就任(2020.07.23)
- 魔の11人?(2020.07.22)