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2011年10月の3件の記事

2011年10月31日 (月曜日)

ロンドンでリーダーシップの学会に参加してきた

 International Leadership Association (ILA)という学会の年次総会がロンドンで開かれたので参加してきた。ロンドンではごく限られた範囲しか移動しなかったのだが、その範囲内(ウェストミンスター駅、ウォータールー駅、議会、ベーカーストリート駅周辺など)では議会の周辺にテントを張って座り込み(寝込み)して抗議しているらしい人たちがいた他は、何も目立った暴動の痕跡は見えなかった。
 さてこの学会だが、学者も数多く参加していたものの、割合としては実務家がかなり多いのが目立った特色のようだ。それを反映してか、分科会各会場の雰囲気が非常にフレンドリーで、偶然隣に座りあわせた人が(ワークショップでもないのに)自己紹介してくることが多くて最初はびっくりした(これは学者中心の学会ではあまり起きないことだと思う)。そうしているうちに何人かに一人は非常に有益な情報を交換できる人がいたので、共有を重視する場合にはこれも理にかなったことなのだろう。800人余りの参加者が十数個の分科会に分かれる時間帯が多いのだが、同じテーマの分科会会場を選んだということはそれだけである程度関心の重なるところがあるわけだ。
 この学会は日本人がもともと非常に少ないようで、それらしい人(アジア系の人で、群れている人たちw)を全く見かけなかったし、分科会で私が手をあげて発言するとやや驚かれ、また歓迎されるのが分かった。日本から来る人が少ないのは日本の大学の学部レベルではリーダーシップ関係の科目、特にリーダーシップ教育(開発・発達支援)の科目がまだ少ないことの反映かもしれない。しかしこの学会には学部レベルのリーダーシップ教育の分科会がいくつかあったので可能な限り顔を出してみた。そこでまず気付いたのは、特に米国の学部レベルでは経営学やビジネスとはリンクの薄い(大きく分けると社会起業に近い)リーダーシッププログラムがかなり普及していることだ。学部後半の専攻(major)や副専攻(minor)としてリーダーシップを選択できるような大学はデュケインの経営学部など少数の大学だけなのだが、もっと低学年で、特に一年生だけの科目としてであれば数が多いようだ。また、そうしたプログラムの運営にStudent Affairs(日本でいえば学生部に近い)が関与することが多いのにも気付かされた。今回一番長く話し込んだのはジョンズホプキンズ大とバージニア工科大のリーダーシップ教育の責任者だったが、二人とも、参考にしている文献が我々BLPとはかなり違う。例えばジョン・コッターとかウォレン・ベニスは参考にしてないのかと尋ねると「ああ、それはかなりビジネス寄りのリーダーシップですよね」というような反応だ。代わりに数冊参考文献を教わってきた(誰か一緒に読書会やらんかね?といいたいところなのだが当分日本にいないのだった)。経営学方面というふうに最初に限定してリーダーシップ開発の本を探すとコッターやウォレン・ベニスに行くのは(米国でも)普通のことなので今まで気付かなかったのだろう。やっぱり時々新しいところに足を運んでみるものだと思った。

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2011年10月19日 (水曜日)

就活・リーダーシップ・リベラルアーツ

 ローマに来る機中で倉部史記 @kurabe_s 著『文学部がなくなる日』を読んだ。題名から想像されるかもしれない「文学部の実態」のような本ではなくて、文学部の構成要素が「国際○○学部」「心理○○学部」などに再編成されて、結果として在来の文学部という学部がなくなる大学が続出しているくらい、いまの大学の環境は激変し、環境変化に対応して大学側も急激な改革を強いられているというごく真っ当な話で、多々学ぶところがあった。
 私のいまの仕事に直接ヒントになったところを二つとりあげて感想を書いておきたい。第一は、p.182「企業が自分に何をしてくれるか期待する就活学生」。「就職活動をする大学生を見ていて気になるのは、『あなた方企業は、私に対して、何をしてくれますか?』ということばかり気にしている学生が多いということです」「行った先の企業が自分の人生をランクアップしてくれるのだ、所属する組織が、どこか素敵な世界に私を連れて行ってくれるのだ、という考えが見え隠れしている」「企業の側は、『あなたが、わが社を、どのように良くしてくれるのか』に関心があるのです」「学生は、企業は従順な人材を求めていると思い込んでいるかもしれませんが、『私がやりたいことを実現させるために、御社の環境が必要なんです。これは御社のビジネスにとってもプラスです』くらいのことを語る学生のほうが、自社に何かをもたらしてくれるだろうと考える企業人は少なくないはずです」(p.183-4から抜粋)
 全くおっしゃる通りだと思う。で、これは翻訳すると、実はリーダーシップの欠如の問題なのだと思う。高校生・受験生の大半は、徹底的な消費者スタンスで大学に入ってくる。消費者は、価格を含めて何か気に入らない物に出くわすと、避ける。気に入れば、買う。もし買ってしまってから、気に入らないのに気付いたのならば、苦情を言うこともあるが、積極性はそこ止まりである。自分の気に入るような物を自分で創り出してしまうとか、相手が作ってくれやすくなるような提案をするとか、その相手を巻き込んで自分と一緒に作り始めるといった行動にまでは至らない。これらは典型的なリーダーシップ行動である。他人に影響を与えて一緒に成果を出せるように行動する(相手は企業でも大学でも仲間の学生でもよい)体験、特に初期に小さくてもいいので成功体験があれば、倉部さんのおっしゃる「自分のなかのスイッチを切り替え」る。そしてリーダーシップをとることの意味に気付くのである。
 そういうリーダーシップは大学で言えば専門科目の勉強のためにも、また社会に出てからの職場学習においても決定的に重要なので、大学で専門科目と並行してリーダーシップ発達支援を行う価値は大きい(立教大学経営学部が、リーダーシップを車の前輪、専門科目を車の後輪としている所以である。)言い換えると、大学の教員が学生に対して「勉強は一人でやるものだ」という、研究者としての自分の経験をいまや押しつけるのは、学生が研究者を目指さないほうが普通になった現代では時代錯誤なのである。(なお、ここで言っているリーダーシップは、○○長のような、任命されたリーダーの、権限の使い方ではないし、、逆に、カリスマのことでもない。最近この事情をとても分かりやすく説明してくれる有りがたいエントリーに出会ったのでぜひ参照してください。~ちきりん日記 なんで全員にリーダーシップを求めるの? )

 第二は、「リーダーを育てるリベラルアーツ学部」について(p.68)。大勢の人をリードする人材の養成のために歴史や哲学のような一般教養やリベラル・アーツを教える取組の人気が上昇中であるという。しかしこうしたリベラル・アーツは、上記のようなリーダーシップのない学生が学んでも、彼らは他人を巻き込んでプロジェクトを起こし総合的判断力が発揮するような場面にそもそも遭遇しないので、学生がリベラル・アーツ科目に興味を持てた場合にもせいぜい個人的な趣味の対象になるだけであるし、興味を持てなければ広くて薄くて退屈な科目になって誰もハッピーになれないだろう。従って、リベラル・アーツ科目は、リーダーシップ・スキルを身につけた後に(あるいはリーダーシップ・スキルを充分に身につけた学生だけを対象に)教えられるほうがいいのではないか。米国の学部段階でのリベラルアーツ教育が失敗したと言われるのも、この点をあいまいにしたままだったことも一因なのではないかと推測する。

(古代ローマの偉大なリーダーたちの足跡のあるローマにて)

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2011年10月 3日 (月曜日)

PC/ iPodオーディオのすすめ

 あまりパソコンを使い慣れないオーディオマニアに「これからはPCオーディオですよ」と言うと「何を馬鹿な」という反応をされるが、今の変化は上流(音源に近い方)で主に起きていて、一番下流つまりパワーアンプからスピーカー(ヘッドホン)ではまだあまり変化が起きていない。だから体験しようと思えば今のアンプやスピーカーなどの装置を活かしたまま比較的手軽にテストできるはずなのだが、それすらせずに毛嫌いする人もいる。そもそも中年以上のオーディオマニアという人たちは機械全般が好きなことが多く、自動車やカメラあたりに妙に詳しい人が統計的に多い気がするので、PCオーディオというだけで拒否反応のある中年オーディオマニアというのは、ある年齢から世の中の動きについていくのをやめた人なのかもしれない。(余談だがPCオーディオを毛嫌いする人は、デジカメの普及過程で最後まで光学式カメラにこだわってデジカメを拒否し続けた人たちによく似ている。好きでライカの光学式カメラを使い続けるのはいいのだが、デジカメのメリット、例えばインスタントな共有可能性に目を向けなかったのは悲しいことだ。)それはさておき、いま起きつつあるオーディオの変化は、1982年のCDプレーヤー(フィリップス・マランツブランド)の登場とその後の爆発的な普及の前後に匹敵するものだと思う。
 PCオーディオのブームは2008年にiPodからデジタルで音を取り出すことから始まったようだ。2008年よりも前にも、音楽好きから見てiPodの音には種々不満があり、その筆頭は、付属のヘッドホンだった。しかしそれは他社のヘッドホンを買えばすぐ解決する話。実は、より大きな問題として、音源としてのiPod自体には凄い潜在力があるのに、音源近くの上流に大きな障害があって、普通の使い方だとその力がフルに発揮できないのだ。iPodの記憶媒体(ハードディスクやフラッシュメモリ)から読み出されたデジタルの信号は、あの小さなiPodの中でアナログ信号に変換(convert)されヘッドホン用に増幅(amplify)される。このデジタル・アナログ変換機(D/A converter)と増幅機(amplifier)がiPodの場合非常に弱体なので、音源としてのiPodを活かすにはこの両者をバイパス(迂回)してiPodから取り出してしまう必要がある。それを可能にするのが、iPodを同期したり充電したりするときに使うドックなのだ(ある意味でiPodの設計はその可能性を予見していたのだろう)。これは「iPod用デジタルオーディオトランスポート」と呼ばれている製品で、2008年夏に米Wadia社から最初の170iが出てから、ブームが始まった。
 iPodから生のまま取り出したデジタル信号を、今度はきっちりアナログに変換するD/Aコンバータを繋ぐ。ここでアナログに変換されるから、そのあとは従来のプリメインアンプやパワーアンプにRCAケーブルで繋げば凄い音が出る。D/Aコンバータも各社から出ている(2万円台から数十万円台まである)。デジタルオーディオトランスポートとD/Aコンバータ(と場合によってはアンプまで)統合したミニコンのような製品も出てきたが、iPodのドックから取り出すときにしっかりデジタル信号のまま出しているかどうかが分かれ目だ。ドックを使っていてもアナログで取り出しているミニコンやポータブルスピーカー一体のものもあるので要注意。
 iPodの記憶媒体に入っているデジタル信号はもともとパソコンのiTunes経由で入れたもののはずだから、パソコンを音源にすることもできる。パソコンからUSBケーブルでD/Aコンバータにつなぎ、あとは同じ。
 音源になるパソコンやiPodにある音楽ファイルは、可能な限り圧縮してないもののほうがいい。具体的にはWAVかせめてアップル・ロスレス。CDからiTunesで読み込むときには、iTunesの読み込み設定を、「読み込み設定」は「WAVエンコーダ」を選択し、サンプルレート48,000kHz、サンプルサイズ16ビットにし、「エラー訂正」にチェックマークを入れる。パソコンを音楽再生時に使うなら、音楽ファイルは常にバックアップしておき、なるべく仕事など他用途に使うパソコンと別のパソコン(ないしハードディスク)にするほうが安全だ(ファイルの断片化のあおりをくわないしクラッシュの危険も減る)。既に自分の満足できるオーディオシステムやCDを持っていて、余ったパソコン(多少古くてもいい)のある人は、D/Aコンバータとケーブル類を買って繋ぎ替えるだけで始められる。
 これで聴く音楽はiPodやパソコンのヘッドホンジャックからコンポに繋いだりするのとは全然別世界だ。静寂感・音場感・音像感・音の伸びがまったく違う。音量をあげてもうるさくならない。CDプレーヤーからコンポに繋ぐ場合をも凌ぐことが少なくない(聞き比べてみて、違いがわからない場合は、装置か耳か、その両方が悪いのだろう。耳が悪い場合は、そもそも音の違いが気にならないので、別の世界にエネルギーと時間を向ければよく、それはそれで幸せなのかもしれない。味覚と同じ話である)。
 さて以上のPC/ iPodデジタルオーディオのラインナップにCDプレーヤーが全く登場しないのにお気づきだろうか。そう、CDプレーヤーは一回一回ディスクから読み取ってからアナログに変換する(そう、多くのCDプレーヤーはD/Aコンバータを内蔵している)のだが、iTunesやiPodを使う場合は最初に一回だけCDから読み込んで、あとはハードディスク(やフラッシュメモリ)からエラー補正をしながら読む。どちらの方式が良いのかは決着がついていないが、しかし高い品質のデジタル信号を毎回安定して取り出すためにかかる製品のコストを考えると、ここまでのところどうやらパソコン・iPodの方式が圧倒的に有利なようだ。
 このように、いまのところ変化はCDプレーヤーをやめてパソコンやiPodを音源にするというところと、D/Aコンバータ付近とに集中しているが、いずれこれが川下のほうにも波及することが予想される。ちょうど、CDプレーヤーが登場して、狭い空間でも手軽に良い音の取り出しができるようになり、小型でも良い音の出せるスピーカーの開発が進んだのと同じである。真空管アンプなどもまた人気を取り戻しているようだ。川上に不確定要素が多いと、真空管アンプの味わいなのか、もっと川上の音源の味わいなのか、判別できないものだが、川上の透明度が高いというのはいつでも安心材料だ。川上のほうでも例えばCDプレーヤーの逆襲のような進化もおきつつあるようだ。
 では操作性はどうか。これはアナログのLPレコード(黒いビニールディスク)よりCDが格段に楽だったように、PCオーディオの操作はCDプレーヤーよりさらに楽である。第一、CDを入れ替える手間がまったくない。音質はどうかというと、最高にチューンされたアナログのシステムは今でもCDを上回るという話はよく聞く。しかしユーザの大半が操作が楽なほう、セッティングが楽なほう、つまりCDに流れて、やがて音楽ソフトもCDでしか発売されなくなったのと同じことが起きるだろう。つまりCDの退位は、高音質な音楽ファイル(ファイルサイズは大きくなる)のダウンロードによって完成するだろう。(いまのiTunesストアはまだAACファイルどまりで、WAVファイル等でダウンロードできるわけではなく、その意味ではCD未満の音質であり中途半端であると言えると思う)。ユーザーにとって音質や操作性はそれを実現できる価格との比較でしか意味がない。同一の価格のシステムならば、(iPodやパソコンまで含めて総額50万円でも20万円でも)アナログディスクよりCD、CDよりPCオーディオのほうが音質も操作性も高く、既に勝負はついた、といって良いと思う。
 変化にともなってPCオーディオの雑誌なども数種類創刊されているが、コバンザメのような評論家がメーカーから接待されて、メーカーの意向に沿う記事を書いて、メーカーも雑誌社も消費者も幸せ、という、批評性の無さは従来の(私の知るところだけでも自動車・カメラ・クラシック音楽・オーディオ・テニス用品など日本における多様な趣味の)雑誌の悪弊を忠実に受け継いでいる。その中で、鈴木裕著『iPodではじめる快感オーディオ術』(リットーミュージック)は、一年前の発売なので製品紹介は古くなりつつあるものの、非常にわかりやすく誠実で好感が持てる。付属のDVDの音源も凄い。

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