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2011年9月 4日 (日曜日)

ハワイでローマ史

 ハワイで古代ローマ時代に思いをはせることに特に必然性はないのだけども、例年通り10月に学生と一緒にイタリアに行く関係で休日にローマ史を読み返している次第。50年以上前に書かれた本だがインドロ・モンタネッリ著『ローマの歴史』(中公文庫)は非常に面白い。

序文から「このローマ史の連載が進むにつれて、私あての投書は日に日に憤激の度を加えていった。私は、軽はずみ、でたらめ、めちゃくちゃと叱られ、ある投書は私の文章を、神を怖れぬ行為だとして責め立てた。神聖視されている問題に対して、何たる扱いをするのかというのである・・・」こう書いてあれば、もう少し「立ち読み」くらいはしてみようかと思いますよね。序文は続く「・・ローマの歴史が偉大なのは、それが私たちとは違った人々によって作られたからではなく、私たちと同じような人々によって作られたからだ・・・カエサルは若いときには不良青年で、一生女道楽をやめず、禿をかくすために毎日念入りに髪に櫛を入れていた。こうしたことは彼の将軍・政治家としての偉大さと矛盾しない。アウグストゥスはまるで機械のように全時間を帝国の組織のために割いたが、同時に腹痛やリューマチといつもたたかわねばならず、カッシウスとブルートゥスを相手取った彼の最初の戦闘を、下痢のためにあやうく失うところだった・・」

もちろん本文になるとさらに面白くなる。王制末期のエトルリアとの戦いに関して「だがこの戦争は負けだった。負けいくさに武勇伝はつきものである。負けたときには『栄光のエピソード』を発明して、同時代人と後生の目をごまかす必要がある。勝ちいくさにはその必要がない。カエサルの回想録には武勇伝は一つもない」

紀元前三世紀の反ローマ連合軍との戦いに関して「この一連の戦争の戦略目標はアドリア海だった、と現代の歴史家は説く。だが私見では、ローマ軍は逃げる敵を追って自然にアドリア海に到達したに過ぎない。目の前に青い海が拡がるのを見た時、彼らは自分たちがどうして、またなぜ、ここへ来たのか、さっぱり分かっていなかったろう。ローマ人はまだ地図を持っていなかった。だから、イタリアがいわゆる自然の地政的統一をなしているとか、長靴形をしているとか、半島を掌握するには海を支配しなければならぬとかを、何一つ知っていたわけがない。ローマ軍はカプアの安全を保障するためにナポリを征服し、ナポリの安全を保障するためにベネヴェントを征服し、この論理でタラントまで達した。タラントの向こうは海だったから、そこで停止したのである。」

キリスト教以前のローマが外国の神々の移入に寛容だったことについて「外国人が大量に市内に移住する際に、異邦の寂しさを慰めるため、神々を同伴したのである。この新顔の神々の祭殿は外人たちが自費で建立した。ローマはそれを妨げず、かえって大いに歓迎した。政府も宗団も、無給で民衆を鎮撫してくれる結構な警察官に、文句を言う筋合いはないのである。」

このように数行だけを独立して取り出しても面白さが分かる箇所もあるし、一つのまとまった事件の叙述となるとさらに面白い。作家の辻邦生氏の推薦文は「・・・ローマ史は大体陰気臭いときまっている。ところがこれはそうではない。シェークスピア劇が連続上演されているようで息つく暇もない。人間臭さでむんむんする歴史である」。塩野七生著『ローマ人の物語』は全巻読破した私ですが、この本もまた新鮮でした。

買い物や食事目当てでイタリアに行ってもいいんだけど、その前に、これを完読して、BBC-HBOのDVD「ローマ」(前半)を見てから旅立とう!

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