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2011年6月の4件の記事

2011年6月11日 (土曜日)

バルコニーに常駐するコーチ

ハイフェッツ教授の「バルコニーとダンスフロア」という象徴的なリーダーシップ論(『最前線のリーダーシップ』や『リーダーシップは教えられる』等)については以前にも書いた。グループのメンバーと一緒にダンスフロアで踊りながら、誰かがときどきはバルコニーに上がって、自分たちの現状や位置を把握することが必要だという。そうしないと目の前の現実だけに流されて自分たちを見失うというのである。そのバルコニーとは、当該グループが向かっている戦略的な位置をも見通す視座のことを言っているのだろうか。自分たちの現状を把握する別の視座(バルコニー)に立てる人がいつも必要なのだというのは分かるのだが、「必要に応じてバルコニーとダンスフロアを往復」ができるような高い能力のある人なら、往復するのではなくいっそずっとバルコニーの高みに常駐して、そこからダンスフロアに指示を下していればいいのではないか。往復するほうがよほど高いスキルではないのか。そう、バルコニーに常駐していると今度はダンスフロアで踊っている人たちとの通信が悪くなるのである。だから戦略的位置が分かるようなスキルのある人も、それに加えて現場でダンスすることも同時に必要とされるという話なのだろう。
 質問会議におけるALコーチはその意味ではバルコニーに常駐している。会議における質問と答えのコンテンツ(問題解決)には関与しないからである。問題解決=コンテンツに関与せず、プロセスだけを管理している。そうして、そのほうが良い成果が出ることが多いという経験則(言い換えると、問題解決=コンテンツに熱中すると学習=プロセスに目がいかなくなる人が大半であるから、より良い成果のためには学習とチームワークの必要性のリマインダとして不可欠であること)をメンバー皆が分かっている限り、バルコニーに常駐していても通信は悪くならないのである。バルコニーとフロアの切り分けとしては質問会議のほうが明快であるとも言える。

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立教新座高校での驚きの三週間

 

 4月末から5月連休明けにかけて、立教新座高校で三年生対象に出前授業を担当した。三週間連続だったので、敢えて経営学部一年生前期のBL0と同じ課題で課題解決プロジェクトの授業をやってみた。その結果は大学生と比べても唖然とするほどの出来の良さだった。手伝ってくれたSA(今期BL0のSA)たち三人は、自分たちの一年前や、いま受け持っている一年生と思わず比較して驚嘆していたし、厚意で遠くまで朝早くから審査に来てくださったローソンの部長さんも驚いていた。プレゼンに論理的な飛躍が全く無い。要所要所できちんとデータを取り、念入りなアンケートも行っている。前週の中間発表のときに高校生同士でフィードバックしあっていたが、そのフィードバックや質問は遠慮なく的確で質が高く、しかも一週間でそのフィードバックや質問を完全に活かして改善してきている。これにはたまげた。
 翻って、ほぼ同じ課題(自分たちと同年代の若者の来店頻度を高めるにはどうしたらいいか)に取り組み始めた大学一年生はどうかと考えてみると、まだ高校生たちの出来を上回る出来のものは無さそうである点で、一緒に行ったSA三人(つまり3クラス分だ)の意見は一致していた。これはどうしたことか。高校生たちについてグループ分けはクラスと部活がばらけるように工夫したのでクラスメートは同じ班内に居ない。ただ、高校の過去三年ないし中学からの六年間(人によっては小学校からの12年間)にかかわりのある同士が多いようで、その意味では気心の知れた集団なのだろう。しかしそれにしても大学一年生たちはウェルカムキャンプを経てさらに一ヶ月経っていて、他学部の学生たちが驚くほどの仲の良さなのだ。しかも立教新座高校では最近では経営学部の人気が極めて高く最も優秀な高校生が経営学部に来てくれているはずで、それはいまの一年生でも二年生のなかにも大勢居るのである。経営学部を卒業したばかりの某君(立教新座高校出身)曰く、男子校で遠慮がない間柄で短期間でガガッと詰めていけるのに対して、大学に入りたては皆知り合ったばかりで遠慮があり、しかも半数は異性だから気取りや照れもあるんですよと。しかし男子高校生たちは付属高校の男子の視点でのみ考えていたかというと、そうでもなく、自分たち内部進学予定者とは違う一般の受験生にフォーカスした班もあれば(「世の中の大半はそうですから」と言っていた)、自分たち自身ではなく弁当を作る親たちに徹底アンケートをして弁当を作る側の事情を探ったりもしていた。そうしてみると、経営学部一年生たちは、せっかくのダイバーシティを活かせるほどの関係性をまだ築けていないということになろうか。
 その関係性構築というのが単に長い時間過ごして仲良くなる、という方法に限定されてしまうと高校生から進歩がないことになってしまう。それほど親しくなくても、成果のためなら遠慮なく意見を言い合えるような関係になるスキルやそうした成功体験を得る必要があるということか。外部評価委員会でassertivenessが大切ですよ、と言われていたのに応えて、BLPではここ三年間ディベートを取り入れているのだが、まだ足りないのかもしれない。特に、ディベートや論理思考の経験によって次学期のプロジェクトの成果が向上するというリンクがまだ弱いために、assertするコストに目が行って遠慮してしまうのかもしれない。質問会議はいわば質の高い質問をassertすることによって全員の成果が向上することを分かりやすく経験できる装置でもあるので、SAの研修ばかりでなくもっとひろく受講生に経験してもらったほうがいいのかもしれない・・等々いろいろ考えさせられた有益な三週間であった。

[追記]学部のウェブサイトにこの高校生たちのプレゼンテーションの動画を収録しました。

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2011年6月 8日 (水曜日)

iOS, Lion, そしてジョブズ氏の病

 昨日WWDC2011の基調講演でMacの新OS”Lion”やiOS5.0が発表された。“Lion”についてはこちら、iOSやクラウド戦略についてはこちらを見ていただくといいと思う。
 基調講演はジョブズ氏の独壇場ではなく、これまで以上に部下に委任されていたようだ。ジョブズ氏も中心的な部分をプレゼンしていて、2011年1月からの「療養」中も重要な戦略的意思決定にはジョブズ氏はこれまで通り参加する、と言っていたのが本当であることを分かりやすい形で示したとも言えるだろう。アップルの株主にとっても安心できる材料だったかもしれない。プレゼンは部下と分担したものの、基調講演で触れられたiOSや”Lion”の設計の基本方針策定にジョブズ氏が関与していたことはほぼ疑いようがない。これは本当に「療養」なのだろうか? むしろ他社の多くのCEOのように、重要なことにだけ関与する、という本来の姿なのではなかろうか。そうだとすれば、「療養」というのは、癌治療であるとともに、ジョブズ氏が、権限を委譲し普通のCEOの職務分担に自己調整していく過程、(昔から言われていたように)細かいことに口を出しすぎるマイクロマネジ病を治療する過程でもあるのではなかろうか。1988年以来のMacフリークの私としては、ジョブズ氏が両方の病から快復することを祈っている。

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2011年6月 7日 (火曜日)

学生と卒業生にとっての質問会議

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 学部2年生ぐらいの比較的意欲的な学生に質問会議をおこなってみると、大変手応えがある。初心者には、質問と答えだけで問題解決ができるというところにまず大きな驚きがあり、それが質問の効能を知るきっかけになる。従って準備としては、適切な問題を持ってきてもらうことは大切で、各自が持ってくる問題は事前に厳選する必要がある。最も多いのが「サークルと勉強とバイトで時間がなくて困る」「留学するかどうか迷っている」の二つ。もうちょっとシガラミや板挟み系の問題はないのかと言いたいところだが、そういう束縛は少ないのだろう。「朝起きられなくて困る」はさすがに却下するが、「自分に自信が持てなくて困る」には、最近その問題で困った事例を中心に皆に話せますか?という条件をつけて採用する。そうでもしないと取り上げる問題がなくなってしまう。「私にはそういう問題は一つもないのが問題」と言ってあっけらかんとしている学生もいる(笑)
 質問の効能を知るためには自分のかかえている問題を質問と答えによって解決するのを体験するのが手っ取り早いので、学生をメンバーとして質問会議を行うときにはそうした問題でもやむなしとしていた。そのことが学生が質問会議のことを誤解させうることを最近知った。それは、ゼミでビジネス的な提案を作成した学生が、コメントをもらうために質問会議を開いたときのことである。人数が多かったせいもあって全員が参加してチーム脳になるという状態には至らなかったのだが、振り返りで、「この問題は質問会議に向いていないと思います」と率直に感想を述べてくれた学生がいたのである。理由を尋ねると、「今までにやった質問会議ではいつも提示される問題は身の上相談のように問題提示者が問題について一番よく知っているものばかりだったので」という。ここでBLP同僚教員で私のサバティカルの間ゼミをお願いする予定の斎藤和彦さんが「それは質問会議というよりカウンセリングの場合でしょう」とコメント。そう言えば斎藤さんは一年以上前のSA対象の質問会議のときも、カウンセリング的にならざるを得ないセッションを経験したのだった。ゼミ生のこの勇気ある発言のおかげで私も学生にとっての質問会議の意味についてまた考えるきっかけを得た。
 質問会議においては問題提示者がその問題のことを一番よく知っている(そういう問題が適している)というのは、あっさり言えば誤解である。そのことは、質問会議において質問に答えているうちに「真の問題は別のところにあった」と本人が気づくことがしばしばであることから分かる。また、個人的な相談ごとが適しているというのも誤解で、社会人同士で質問会議を行うときには、自分の身の振り方など多少は個人的な面は含んでいてもほぼ常に仕事上の問題提示が多い。個人的な(特に心理的な)相談事など相談されてもお互い質問しづらいことが分かっているので、仕事上の問題を、さしつかえないように(必要ならぼかしながら)話すのである。アクションラーニング協会のALコーチ養成講座でもほぼ例外なくそうであったし、昨日ゼミの卒業生有志でおこなったときにも同様であった。二年前まで学生であった人も、自然に仕事上の問題を持ってくるようになるのである。
 SAの仕事で成果をあげてもらうための研修として質問会議を始めたのだが、こうした誤解はSAとしての仕事にも足枷になる恐れがある。例えばいまBL0ではローソン、BL2ではライフネット生命から学年全員共通の課題をいただいて提案コンペに向かってグループワークを行っているが、SAは受講生から「どうしたらいいでしょう?」と相談されることが多い。このとき質問に対して下手に答えて方向を指示してしまうのではなく、適切な質問を返して受講生に考えてもらうのが正道であり、そうした質問のスキルを上げてもらうための質問会議なのである。質問力が個人的相談ごとにのみ役立つと思っていれば「他のメンバーとうまく行かないのですがどうしたいいでしょうか」というような相談にしか使えない。しかし、そうではなく、「この案で来店増えますかね?」と相談された場合も、すぐその案の欠点を指摘したり改善策を言ってしまうのではなく、「来店が増えないかもしれない、って不安なわけ?どうして不安なの?」と反問してプラス要因・マイナス要因を頭の中で整理する手助けをしたり、「来店可能性について君のチームメートはどう考えているの?」と質問して、チーム内の話し合いが足りないことを気づかせるような質問を投げかけるのが仕事なのである。
 SAとして下級生の相談を受ける場合だけでなく、チームメートに対しても意見を言う代わりに質問で貢献するといった用途があるので、本当はSAに限らずもっと多くの学生に質問会議を経験してもらいたい。SA研修やゼミを糸口にしてもっと広げる方策を考えている。ゼミの卒業生で勉強したいという人がいたので一昨日の日曜に質問会議をやってみた(写真)。交代でALコーチと問題提示者をやってもらいながら私はALコーチの斜め後ろでコーチにコーチしつつリアルタイムで進み具合をツイートしてみたので、ご参考まで。


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