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2011年3月の2件の記事

2011年3月 6日 (日曜日)

メディアセンターでの2年

 2009-2010年度の二年間は立教大学メディセンター長も兼任していて、学内の教育・研究に関するICTインフラの運営に関わっていました。現場にはさすが猛烈に技術に詳しい人や面白い人も多く、楽しく仕事をさせてもらいました。春の送別会・歓迎会に忘年会、さらに夏には河原でバーベキューがあり、二年連続で河原で鉄鍋料理も。このセンターが年次報告を出すというので、ちょっと改まって巻頭言として書いてみたのが下記の原稿。また変わるかもしれないけど。
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 この報告書は本来であれば毎年発行されることになっているそうであるが、諸般の事情で昨年度は発行に至らなかったため、今回の報告のカバーすべき期間はちょうど私のメディアセンター長在任期間の二年間にちょうど重なることになった。あっという間の二年間であったが、その間にメディアセンターの業務に関連して感じたことをいくつか述べて巻頭言の代わりとしたい。

 1) WiFi(学内無線LAN)
 今年度から池袋キャンパスでWiFiがほぼ全域で本格的に使えるようになり、来年度には新座キャンパスでもサービスが開始される。これは教育上とても大きな意味を持っている。というのは、従来から立教大学では、大学側が用意するパソコン1台あたりの学生数が多く、学生がキャンパス内で充分にICTを活用できていないことが課題であった。ところが、軽量化・低価格化したノートパソコンとスマートフォンの劇的な普及、さらに学内WiFiの整備によって、パソコン教室に行って机上のパソコンを使うよりも、個人所有のパソコン・スマートフォン・タブレット端末を大学に持ち込んだり、大学からノートパソコンを借り出して学内WiFiでネットに繋ぐことの方が便利になった。私は、学内WiFiの整備によって、「大学の用意するデスクトップ端末の台数÷学生の人数」という数字の重要性は少なくとも相対化し、教育上のICTインフラ整備の課題の重点はむしろ例えば、学生同士が集まって議論しながらネットも使い、共同学習できるようなスペース(アクティブ・ラーニング・スペースと呼ばれることもある)の拡充へと移動したと考えている。WiFiのおかげで、そうしたスペースにいちいち有線のアクセスポートを作らなくてもよくなったことは有利な条件であろう。
 もちろん、そうした便益を享受するためには多くのモバイルアクセス端末が必要で、大学としては当面貸し出し用ノートパソコンを拡充していくことは必要であろう。ただ、iPadのようなタブレット型端末の価格が下がり続けているので、用途によってはこの貸し出しサービスはいずれ要らなくなる可能性はある。

 2) リテラシーと倫理
 キャンパスでも常時インターネットにアクセスできるとなると、今後ますます重要になると思われるのは、学生や教職員が、インターネット上でトラブルに巻き込まれたり、トラブルを引き起こしてしまわないようにエチケットや護身術を共有することである。この点は教職員よりもデジタルネイティブの学生の一部のほうがおそらく感度が高い面もありそうでもあり、逆に学生は(在来の)社会規範や法律については学び始めたばかりの立場にある。その意味では教員が教室で一方的に教壇から教え込むような情報倫理教育では不十分で、学生と教職員がともに学び合うようなプログラム設計が望まれる。すなわちアクティブラーニング(学習者中心の教育)である。うまく設計・運用すれば、このプログラムによって学びが活性化して、大学が享受するメリットは小さくないと思われる。

 3) インフラと「ソリューション」
 WiFiの話に戻るが、そもそも立教大学では、WiFiはどうして大学のインフラストラクチャーとして整備されるに至ったのだろうか。それはいつでもどこでもインターネットに接続できることの重要性、特に「ネットで検索」することの重要性・利便性が、教育面でも認知されてきたからというのが一番大きいだろう。その意味ではグーグルなどの検索サービスのインパクトの大きさはいくら強調しても強調されすぎることはない。インターネットに接続することの目的が、eメールのやりとりだけだったり、あるいは趣味や楽しみのためのウェブサーフィンだけだったならば、巨費を投じてキャンパスにWiFi網を整備する理由にはならない。「いつでもどこでもネットに繋げることが教育的に望ましいのだが、現状はそうなっていない」という問題への現代的な「ソリューション」が無線LAN接続ポイントをインフラとしてキャンパス全域に設置することなのである。
 これに比べると、「教育でのICT活用促進」のために採用が検討されてきた「ソリューション」群は、そもそもどういう問題を解くためのものかが忘れられがちである。例えば「クリッカー」と呼ばれる、授業内でリアルタイムでアンケートをとるシステムがある。これは何の「ソリューション」であるかというと、大人数の授業をインタラクティブに行ないたいが、うまくできないという問題への一つのソリューションである。ソリューションが提示されて、それが個々の教員に実際に採用するかどうかを個々の教員に任せるのであれば、採否は各教員の計算する費用対効果によって決まる。もともとインタラクティブに授業を行っていた教員にとっては、アンケートを口頭での問いかけから文字に落としこむだけであるから費用はまあまあ低いと言えるだろう。しかしインタラクティブに授業を行なっていない、あるいは行う必要を感じていない教員にとっては費用は極めて大きいし、さらにはまた、そんなシステムを使わなくても口頭で充分にインタラクティブに行えていると考える教員にとっても費用対効果は良好ではない。
 つまり、インタラクティブに授業を行ないたいがうまく行ってないという「問題」を共有できて初めてクリッカーが「ソリューション」になるのである。ところが、最初にクリッカーがあって、「さてこれをどういうふうに使えますかね」と相談して、「では使ってくれる先生を探そう」ということでは、既にインタラクティブに授業を何かの形で行っていて、しかもガジェット好きであるという極めて少数の教員しか見つからず、しかもそこで成果が上がったからといってその成果が共有されたり、まして顕彰されたりということが無ければ、他の教員への波及効果も限定的にならざるを得ない。つまり、「授業をインタラクティブに行おう」というミッションが教員間で共有され、「現状では、大人数の教室では障害がある」という問題があり、それを解くソリューションの一つとしてクリッカーが用意される、という順序でなければならないはずである。その意味では「教育でのICT活用促進のため」という最初の設定が既に転倒しているとも言える。ほとんど全く同じことがLMS(Blackboardのような学習支援システム)、eラーニング、eポートフォリオそれぞれについてもあてはまるのではないか。
 何が問題であるかを共有しないうちに「ソリューション」を提示するという傾向は、企業や大学に対してICT機器やソフトウェアを販売しようとする企業の戦術に影響されたものかもしれないが、しかしその売り方はソリューション営業やコンサルタントとしても間違っているのではないかと思う。

4) 他大学との協力
 慶應義塾大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学のICT担当部局で構成して情報を交換しあう「大学情報サミット」では、他大学のかかえるICTインフラ運営上の問題をお互いに共有して、励まされたり、学んだり、とても収穫が多かった。その後、別の機会に国立大学を含めた十数校のCIOが集う会合にも出席する機会を得て、そこでも非常に有益なお話をうかがうことができた。特に、独立法人化した後の国公立大学のICTインフラ整備と運用の様子は、費用分担やメンテナンス分担のしかたからして、とても異なっているように思えた。こうした場に出席することで自校の課題や強みを知ることができるし、相談相手も見つけることができる。ICT活用は上にも述べたようにミッションではなくてソリューションに過ぎないにもかかわらず、革新が早く、採用するとなると投入するリソースの規模が大きく、またセキュリティの問題もふくんでいるので、高次の大学経営の視点からの密接な関与とコントロールが重要と思われる。

以上

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2011年3月 5日 (土曜日)

立教での6年と次の1年

 4月から新棟(マキムホール)にオフィスが移るのだが、来週から海外出張に行くので同僚たちより早めに引っ越しの梱包作業を始めた。ちょうど6年前に立教に着任してきたときの引越しを想い出す。たまたま昨日は6年前に着任したときにの最初に入ってきたゼミ生たち(既に彼らが卒業して2ないし3年経っている。実はBLPの初代SAと二代目SAでもある)と池袋で飲んだので感慨もひとしお。6年前は立教大がどんな職場なのかよく知らず、実は池袋キャンパスに来たこともなかった。着任前に池袋に偵察に来てみると、まず建物がお洒落で、学生たちもすごくファッショナブルで驚いた。「こりゃ服装や持ち物に手を抜けんぞ」(笑)。もちろん他にも都立大と立教の校風は違う点が多く、それだけに都立大のゼミ卒業生と立教のゼミ卒業生に交流してほしかったので、都立大の常勤を退職したあともゼミだけは非常勤講師として2年間担当して立教生と混ざる機会をたくさん作った。
 前にも書いた気がするけれども、立教の経営学部には最初は金融論の普通の(?)教員として採用の選考プロセスに入ったのだが、途中で「この人にリーダーシッププログラムもやってもらったらどうだろう」ということになったそうで、選考の面接ではテーブルの向こう側にS石学部長(当時)やY口教授らが並んでいて、右端のS々木教授に「では日向野さんには、BLPに注力していただくということでよろしいですね」と念を押された。あとで当人曰く「僕はあそこで念を押す役目だったんです」。当時はMBAや企業研修ではリーダーシップ開発は定番になりつつあったものの、学部レベルで学生のリーダーシップ開発そのものを必修でおこなっている大学は全く無く、私に依頼したのは苦肉の策の人選だったのかもしれない。私としてもBLPのような大規模なプログラムを作っていける確信があったわけではないが、都立大でのゼミの最後の数年間は(いま翻訳すれば)リーダーシップ開発の真似事のようなことをしていたので、BLPの設立趣旨をお聞きしたときにもそれほど違和感はなかったし、別の理由として、都立大の最後の頃が、どう筋を通してCOEを返上して辞めるかという、大切だが暗い話ばかりだったので、何か新しいことを建設する仕事をしてみたかった。とはいえ本格的なリーダーシップ開発には素人同然だったので、まっさきに神戸大の金井壽宏教授に相談に行った。金井教授はいろいろとヒントをくださったうえで、「日本ではまだ誰も作ったことのないプログラムなんだから、どういうプログラムでも立ち上げて続けば成功と言えますよ」と励ましてくださった。またその後、経営学部一期生らを対象にした講演のときにも、ちょうど書かれたばかりの『リーダーシップの旅』に引っ掛けて、「BLPそのものがリーダーシップへの日向野さんの旅なんですね」とおっしゃっていたのが強く印象に残り、これも非常に励ましになった。
 2006年4月から2年間くらいは文字通り手探りで運営していて、授業の一週間前に全クラス共通スライドを作るような日々が続き、ご協力くださった教員のかたがたには迷惑のかけっぱなしだったし、私もあやうく体を壊しかけた。主査であり教員の一人でもあり事務局でもあるという一人三役だったのである。しかし2008年3月の入院から復帰して4月にBLPを主な仕事とする助教1名(金井研究室出身の故・元山年弘さん)と助手1名が着任し、同年夏に教育GPに選定され、多くのリソースを得られるようになって、日々の運営だけでなく長期的なイノベーションを考える余裕が出てきた。また、常にタイムリーな提案で助けてくれるSAにも、質問会議を使ったアクションラーニング研修のように、一段進んだリーダーシップ開発を経験してもらって、少し報いることができるようになってきた。新進気鋭の元山さんと、2006年からずっと兼任講師を引き受けてくださっていた松坂あき政さんが相次いで2009年夏に急逝されたのは大きな痛手だったが、いまは何とかその喪失から立ち直り、仕組みもさらに拡充されて助教も事務局もそれぞれ2名体制になった。企業のかたがたにもBLPを評価してくれる人が増えて、とても手応えを感じている。企業の方々の中には2006-07年の黎明期?から兼任講師としてずっと手伝ってくださっている方もいらっしゃる。企業の方々とのコラボの仕方は主に3通りで、兼任講師になっていただくか、問題解決プロジェクトのクライアント(問題提示とコンテストの審査)になっていただくか、あるいは(まだ小規模で試行段階ではあるが)企業研修との相互乗り入れを受け入れていただく等である。
 次の大きな課題はプログラム自体のsuccessionである。つまり私がいないときでも支障なくプログラムが回るようにしなくてはいけない。ちょうど立教にはサバティカル制度があって、6年勤め終えた来年度は、後半から一年間、授業やアドミン業務を一切持たされない。これを逆用してその手始めをしてみようと考えている。また、1月に行われた河合塾のシンポジウムを機に考え始めたのだが、BLPの強みはリーダーシップ開発であるとともに、学部必修レベルでアクティブラーニングのための仕組みが整っていることでもあるようだ。そうだとすれば、アクティブラーニングの仕組みを維持しつつ、開発ないし教育の重点をリーダーシップから他のものを含めるように拡張したり、あるいは重点を移動したりすることもできるに違いない。サバティカルの一年を使ってその可能性を探ってみたい。

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