立教での6年と次の1年
4月から新棟(マキムホール)にオフィスが移るのだが、来週から海外出張に行くので同僚たちより早めに引っ越しの梱包作業を始めた。ちょうど6年前に立教に着任してきたときの引越しを想い出す。たまたま昨日は6年前に着任したときにの最初に入ってきたゼミ生たち(既に彼らが卒業して2ないし3年経っている。実はBLPの初代SAと二代目SAでもある)と池袋で飲んだので感慨もひとしお。6年前は立教大がどんな職場なのかよく知らず、実は池袋キャンパスに来たこともなかった。着任前に池袋に偵察に来てみると、まず建物がお洒落で、学生たちもすごくファッショナブルで驚いた。「こりゃ服装や持ち物に手を抜けんぞ」(笑)。もちろん他にも都立大と立教の校風は違う点が多く、それだけに都立大のゼミ卒業生と立教のゼミ卒業生に交流してほしかったので、都立大の常勤を退職したあともゼミだけは非常勤講師として2年間担当して立教生と混ざる機会をたくさん作った。
前にも書いた気がするけれども、立教の経営学部には最初は金融論の普通の(?)教員として採用の選考プロセスに入ったのだが、途中で「この人にリーダーシッププログラムもやってもらったらどうだろう」ということになったそうで、選考の面接ではテーブルの向こう側にS石学部長(当時)やY口教授らが並んでいて、右端のS々木教授に「では日向野さんには、BLPに注力していただくということでよろしいですね」と念を押された。あとで当人曰く「僕はあそこで念を押す役目だったんです」。当時はMBAや企業研修ではリーダーシップ開発は定番になりつつあったものの、学部レベルで学生のリーダーシップ開発そのものを必修でおこなっている大学は全く無く、私に依頼したのは苦肉の策の人選だったのかもしれない。私としてもBLPのような大規模なプログラムを作っていける確信があったわけではないが、都立大でのゼミの最後の数年間は(いま翻訳すれば)リーダーシップ開発の真似事のようなことをしていたので、BLPの設立趣旨をお聞きしたときにもそれほど違和感はなかったし、別の理由として、都立大の最後の頃が、どう筋を通してCOEを返上して辞めるかという、大切だが暗い話ばかりだったので、何か新しいことを建設する仕事をしてみたかった。とはいえ本格的なリーダーシップ開発には素人同然だったので、まっさきに神戸大の金井壽宏教授に相談に行った。金井教授はいろいろとヒントをくださったうえで、「日本ではまだ誰も作ったことのないプログラムなんだから、どういうプログラムでも立ち上げて続けば成功と言えますよ」と励ましてくださった。またその後、経営学部一期生らを対象にした講演のときにも、ちょうど書かれたばかりの『リーダーシップの旅』に引っ掛けて、「BLPそのものがリーダーシップへの日向野さんの旅なんですね」とおっしゃっていたのが強く印象に残り、これも非常に励ましになった。
2006年4月から2年間くらいは文字通り手探りで運営していて、授業の一週間前に全クラス共通スライドを作るような日々が続き、ご協力くださった教員のかたがたには迷惑のかけっぱなしだったし、私もあやうく体を壊しかけた。主査であり教員の一人でもあり事務局でもあるという一人三役だったのである。しかし2008年3月の入院から復帰して4月にBLPを主な仕事とする助教1名(金井研究室出身の故・元山年弘さん)と助手1名が着任し、同年夏に教育GPに選定され、多くのリソースを得られるようになって、日々の運営だけでなく長期的なイノベーションを考える余裕が出てきた。また、常にタイムリーな提案で助けてくれるSAにも、質問会議を使ったアクションラーニング研修のように、一段進んだリーダーシップ開発を経験してもらって、少し報いることができるようになってきた。新進気鋭の元山さんと、2006年からずっと兼任講師を引き受けてくださっていた松坂あき政さんが相次いで2009年夏に急逝されたのは大きな痛手だったが、いまは何とかその喪失から立ち直り、仕組みもさらに拡充されて助教も事務局もそれぞれ2名体制になった。企業のかたがたにもBLPを評価してくれる人が増えて、とても手応えを感じている。企業の方々の中には2006-07年の黎明期?から兼任講師としてずっと手伝ってくださっている方もいらっしゃる。企業の方々とのコラボの仕方は主に3通りで、兼任講師になっていただくか、問題解決プロジェクトのクライアント(問題提示とコンテストの審査)になっていただくか、あるいは(まだ小規模で試行段階ではあるが)企業研修との相互乗り入れを受け入れていただく等である。
次の大きな課題はプログラム自体のsuccessionである。つまり私がいないときでも支障なくプログラムが回るようにしなくてはいけない。ちょうど立教にはサバティカル制度があって、6年勤め終えた来年度は、後半から一年間、授業やアドミン業務を一切持たされない。これを逆用してその手始めをしてみようと考えている。また、1月に行われた河合塾のシンポジウムを機に考え始めたのだが、BLPの強みはリーダーシップ開発であるとともに、学部必修レベルでアクティブラーニングのための仕組みが整っていることでもあるようだ。そうだとすれば、アクティブラーニングの仕組みを維持しつつ、開発ないし教育の重点をリーダーシップから他のものを含めるように拡張したり、あるいは重点を移動したりすることもできるに違いない。サバティカルの一年を使ってその可能性を探ってみたい。
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