ディベートと対話と質問会議〜マーコード教授来日(その1)
Leading with Questions等の著者で、リーダーシップにおける質問力の重要性を説いているマイケル・マーコード教授が、日本アクションラーニング協会の招きで来日した。9月16日に外苑前で、丸一日のセミナーが開かれた。教授が最近考えていることを話すセッションで面白かったのは、(1)問題解決のために質問から始めるとが良い理由として「質問が自然な形で対話を生むからだ」という形で明言されていたこと。これはボーム流の「対話」の世界的ブームに対応したものとも思われるが、これまでの著書にはあまり明確には書かれていなかった点ではないか。(2)ディベートと質問会議を比較して、いかに質問会議に利点が多いかを力説されていたので、手を挙げて「ディベートは、コミュニケーションの方法としては良くないと日本人の多くは昔から思ってきました。それは日本におけるディベートの達人たちですら認めることです」と言うと教授はやや驚いた風だった。「だから逆に、質問会議は米国におけるよりも受け入れやすい素地があるのです」と付け加えたら、少し安心されたようだった。これは前にこのブログでも書いたことがあるが、質問会議はアメリカでは「ディベートには疲れたでしょ?だから質問会議なんですよ」という売り込み方をできるくらいにディベートが先に浸透しているわけだが、日本ではそうではないので、「上司は、直接に命令するより質問するほうが部下に素直に聞いてもらえる」というあたりが営業上の?攻め口であることが多いようだ。これが日本における質問会議に過度のローカル色を生むことにつながらないといいのだが。
「ディベートに疲れる」という話と「デカルト的Cartesian」という話が出たので「フランス人はどうなんでしょうか」と質問したら、案の定「アメリカ人はディベートをすれば5分で疲れてくるが、フランス人はディベートすればするほどリラックスして、ほんとにゲームとして楽しんでしまう信じがたい人たちだ」というお答えだった。これを聞いて、お嬢さんがフランス人と婚約したばかりという参加者の一人が「やっぱりそうなのか、合点がいった」と納得していた。私は、アメリカ人がディベートすると疲れを感じるというか、リラックスできないのは、ディベートを勝負と考え、(およそ男というものは、あるいは最近は男女ともに)勝負ごとには負けてはならないというマッチョな社会的・文化的圧力をフランス人より強く感じるからではないかと思う。フランス人は純粋に楽しんでしまうのではなかろうか(続く)。
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