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2010年9月の4件の記事

2010年9月20日 (月曜日)

ALコーチの役割〜マーコード教授来日(その2)

 講義セッションの合間に、シニアALコーチを含む認定ALコーチたち7名がメンバー(うち1人がオブザーバ)になり、マーコード教授がコーチになるという非常に贅沢な布陣で、質問会議を2セッション行うという貴重な経験をする機会に恵まれた。そこで気付いたのは(質問会議そのものに関係ある論点だけ通し番号をつけておくと)
 (3)問題再定義に全然時間をかけない。つまり、真の問題が何であるかについての合意をとるために、問題提示者に二度三度と問題を再定義させることをせず、初回の問題定義に一致をみなかったら、何事もなかったかのようにアクションプランに移行してしまう。「あと5分くらい会議を続けますが、そのあとアクションプランを提示してもらいます」とだけ予告し、一致を見なかった点をアクションプランの中にどんなふうに取り入れるか(あるいは取り入れないか)は問題提示者の判断に任されていた。私にはこのほうが自然に思えた。その意味では、参加者の気分(と敢えて言おう)に配慮しすぎて何度も問題再定義を強要することはALコーチのやってはいけないことと教わってきたが、それにしてもマーコードさん自身の仕切りではYes/No/Closeのどれであるか意見分布を確認するという程度のものだった。意見の相違がどの程度残ったかを確認することよりも、学習のための振り返りにたっぷり時間をとっていた。
 (4)セッションが始まる前に、マーコード教授は、メンバーの一人一人に今日はどんな発言を心がけたいかをリーダーシップスキルに関連させる形で宣言させていた。例えば「今日は視点を変える質問を心がけたい」とか「メンバー全員の参加を促すような質問をめざしたい」等。これは、質問会議の初心者には無理だが、何度か経験のある人には、とても有効な手法だと思う。
 (5)マーコード教授はALコーチ役でありながら日本語を全く解さないので、通訳がついていた。質問会議の冒頭で問題提示部分だけは訳してもらっていたが、あとのやりとりは一切訳させず、メンバーの様子を見ているだけだった。それでも充分にALコーチ役ができてしまうのは、a)メンバーが規範とルールを熟知している人たちだった、b)マーコード教授がその道の権威(というか本家本元)であることを皆意識していた、という事情もあるだろうが、他に、c)メンバーの発言内容を理解していなくても、表情や話しぶりを見ているくらいでもコーチ役は務まるのだ、という重要な要因があるのだろう(これは質問会議におけるコーチでなくコーチ一般に当てはまる面があるかもしれない)。また、マーコード教授の場合を裏返して言えば、あまり英語が得意でない日本人が、英語で進行している質問会議のALコーチ役を務めることは、(質問会議の意義がメンバーにある程度共有されている場合は)そう難しくないと言えるかもしれない。
 マーコード教授は、まる一日続いてお疲れの夕方の懇親会では(空きっ腹のはずなのに)缶チューハイを一口飲んで「何これ?アルコールの味がしないな」「あ、二口目は少し効いた」初めての飲み物に迷わず手を伸ばすところなど、好奇心もとても旺盛な方とお見受けした。

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ディベートと対話と質問会議〜マーコード教授来日(その1)

 Leading with Questions等の著者で、リーダーシップにおける質問力の重要性を説いているマイケル・マーコード教授が、日本アクションラーニング協会の招きで来日した。9月16日に外苑前で、丸一日のセミナーが開かれた。教授が最近考えていることを話すセッションで面白かったのは、(1)問題解決のために質問から始めるとが良い理由として「質問が自然な形で対話を生むからだ」という形で明言されていたこと。これはボーム流の「対話」の世界的ブームに対応したものとも思われるが、これまでの著書にはあまり明確には書かれていなかった点ではないか。(2)ディベートと質問会議を比較して、いかに質問会議に利点が多いかを力説されていたので、手を挙げて「ディベートは、コミュニケーションの方法としては良くないと日本人の多くは昔から思ってきました。それは日本におけるディベートの達人たちですら認めることです」と言うと教授はやや驚いた風だった。「だから逆に、質問会議は米国におけるよりも受け入れやすい素地があるのです」と付け加えたら、少し安心されたようだった。これは前にこのブログでも書いたことがあるが、質問会議はアメリカでは「ディベートには疲れたでしょ?だから質問会議なんですよ」という売り込み方をできるくらいにディベートが先に浸透しているわけだが、日本ではそうではないので、「上司は、直接に命令するより質問するほうが部下に素直に聞いてもらえる」というあたりが営業上の?攻め口であることが多いようだ。これが日本における質問会議に過度のローカル色を生むことにつながらないといいのだが。
 「ディベートに疲れる」という話と「デカルト的Cartesian」という話が出たので「フランス人はどうなんでしょうか」と質問したら、案の定「アメリカ人はディベートをすれば5分で疲れてくるが、フランス人はディベートすればするほどリラックスして、ほんとにゲームとして楽しんでしまう信じがたい人たちだ」というお答えだった。これを聞いて、お嬢さんがフランス人と婚約したばかりという参加者の一人が「やっぱりそうなのか、合点がいった」と納得していた。私は、アメリカ人がディベートすると疲れを感じるというか、リラックスできないのは、ディベートを勝負と考え、(およそ男というものは、あるいは最近は男女ともに)勝負ごとには負けてはならないというマッチョな社会的・文化的圧力をフランス人より強く感じるからではないかと思う。フランス人は純粋に楽しんでしまうのではなかろうか(続く)。

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2010年9月12日 (日曜日)

マッケンローやコナーズなら暴れていたところだが

 4月から大学のテニス部部長になったので、関東学生テニス連盟のリーグ戦(毎年9月)は、あちこちの大学に行って応援することも仕事になった。昨日はある大学との試合で、相手校コートまで行ってきたのだが、試合が白熱した(ダブルスの3セットマッチに4時間半かかった等)うえに、大人たちの目から見れば運営が稚拙で、しかも判定をめぐるトラブルが続出して朝9時から、日没で会場を移して夜10時までかかってしまった。トラブル続きなのに、選手たちが、おそらく内心怒りを覚えながらも、それをコントロールしならが調子を維持して試合に集中しようとしていたのには非常に感心させられた。ただ、判定をめぐる学連係員の裁定(みたいなもの)や運営は控えめに言ってもお粗末で、このままうやむやにはしないほうが良さそうなので、試合終了後に下記のようなメールを部員に送った。

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 皆さん昨日は遅くまで大変ごくろうさまでした。とても学ぶことの多かった一日だと思います。私が昨夜早口で話したことは分かりづらかったかもしれませんので再説しておきます。

試合内容(技術や戦略)については(いつものように)他の方から助言してもらってください。私の言いたかったのは、次の二つのことを区別して考えてほしいということです。

(1)判定について

相手校のあの人がけしからんとか、学連係員がだらしないとかいろいろ不満はあるでしょう。私も他のOBOGと一緒にコートサイドで怒りまくっていました(もちろん言動には表しませんでしたが)。

ただ、人が成長するための学習の方法の一つとして、

「不満を感じたら、落ち着いて、それを提案に変えてみよう」

というのがあります。今回の場合、怒りがおさまったら(おさまらなくても!)、「もし私が学連の係員だったら、どうするのがいいだろうか」「私が学連係員から携帯で相談を受ける学連本部の役員だったら、電話でどうやりとりして、どう指示するのがいいだろうか」「今後の試合運営を改善するためにはどういうマニュアルを作ったらいいだろうか」というのをよく考えてみてください。「抗議としてではなく提案として」学連に送るようなつもりで考えるのが肝心です。

この作業をしないでいると、「あの人がいけない」と「でもしかたない」という二つの極を行ったり来たりするだけでとっても不毛です。逆に、この作業を冷静にしっかり行っておくと、次回同じようなことがおきたときの行動も適切にでき、被害も最小化できるでしょう。


(2)不可解な判定・裁定があったときの行動

その試合のプレーヤーは、もちろんその場では上記の(1)の作業を始める必要はありません。その場はあっさりそれは捨てて、事件・事故での中断が自分たちに不利にならないようにメンタル&フィジカルなコンディショニングに専念すべきです。(1)は後で考えよう(今は他の人に任せよう)、いまはコンディショニングだ、というふうに割り切ることです。

抗議・質問権限のある人たち(キャプテン?)は、(1)のほうも常に考えている必要がありますね。

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昨夜私の後にスピーチしたコーチは私より更に上を行っていて、「強くなるには人として成長することが必要である。そうすれば技術は後から着いてくる」。凄い。武道家みたいだ。

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野菜の炒め煮イタリア風

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(photo by Anna Abatayo-Soh, in Honolulu, January 2012)

夏がいよいよ終わりそうなので、夏野菜をふんだんに使った「野菜の炒め煮」(ラタトュイユ)のイタリアンバージョンを作りました。気付いたら食べきってしまってもう写真をとれないのが残念。今まで読んだいくつかの料理本を参考にしています。

材料=野菜(トマト、バジル、ナス、ズッキーニ、セロリ、サヤインゲン、パプリカなど。イタリア風らしくするにはトマトとバジルは必須だが他は一部無くてもいい。分量も食べたいだけ適当に。ただ、煮込むと大幅にカサが減るので注意。鍋一杯はおおげさにしても、鍋半分以上になるくらいはゆうに入れていい。また、トマトもズッキーニもナスも入れないとなると水気が出にくいので水を足す必要があるかも)。ニンニク。チーズ(モッツァレラでもスライスチーズ数枚でも可)。ドライハーブ(オレガノとかローズマリーとかセージ。「イタリアンミックスハーブ」みたいなものでも可)。もちろん生ハーブがあればそれに越したことはない。

調理器具=深めで蓋つきで、できれば厚手の鍋。鉄鍋かホーロー引きの鍋がよさそう。

手順
(1)例によって油(サラダオイルでもオリーブオイルでも)の冷たいうちから、つぶしたニンニクを入れて熱し始め、焦がさないように、強火から徐々に弱火にして揚げていく感じで油に香りを移す。煮る分を含めてニンニクはかなり大量に入れても大丈夫(好み次第)。4人分でニンニク1房(1かけではない)を入れてしまっても特に支障はなかった。にんにくは炒め煮すると甘くなってとても美味。夏ばて対策にも良いはず。
(2)焦がさないためにニンニクを取り出しておいて、にわかに強火に転換。ざく切りにしておいた野菜の全てを鍋に入れて炒める。分量が多いので上下左右かき混ぜて炒めるのに腕力というかコツが要るが、こういうときに側壁(鍋肌)まで温度が均質に上昇するダッチオーブンやホーロー引きの鉄鍋は、側壁に押しつけるだけでも炒められるのでとても有利。
(3)あらかた炒め終わったら、火を弱くして、取り出しておいたニンニクを再び入れ、蓋をしてしばらく煮る。
(4)野菜が柔らかくなったら、塩と胡椒で味をつけ、ハーブを入れる。
(5)バジルとチーズを入れて蓋をして、もう少しだけ煮る。チーズが溶けたらできあがり。


03. 食べる・飲む・作る |

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