影響力の法則(書評)
原題はInfluence without authority、つまり権限がないのに影響を与えることといった意味である。リーダーシップ論や組織論でもよく言われるように、縦一本の命令系統で全ての情報を下から収集し上から命令を下すという昔の軍隊風(著者の言うように軍隊ですら今は違うようだ)の組織運営では全く間に合わないほど現代の企業環境の変化は激しい。そうした環境の中で成果を得ようとすれば、必ずしも権限に基づいていないリーダーシップや組織横断的なプロジェクトチームによる主導が常に必要になる。ここまでであれば多くの論者によって主張されていることである。むしろ本書の白眉はそうした自発的・内発的なリーダーシップ emergent leadershipを発揮するに当たって必要になる対人関係のスキルを「交換」の観点から整理し、さらにさまざまなケースについて懇切丁寧に例解したことにある。組織の中で働いた経験のある方ならば誰でも本書の中でいくつか思い当たるケースに行き当たると言えるほど例が豊富である。アルバイトの積極的な提案が大切にされるような職場にもあてはまるので、アルバイト経験の豊富な学生にも(全てとは言わないが)かなり理解できるだろう。社会人ならもちろんである。
そもそも「交換」は、同じものに対する評価が人によって違うことから発生するというのが経済学の基本中の基本だが、経済学の想定とは違って、われわれは自分が持っていて相手に評価されるかもしれない財や資産(著者はカレンシーと呼ぶ)に本人が気づいていないことがしばしばある。そこで著者は、何がカレンシーでありうるかについて包括的なリストを読者に提示し、そのリストをいつも意識していることが必要だという。応用篇として、上司に影響を与える・厄介な部下を動かすといった章が最後にあり、そのテーマ自体は類書にもよく見られるものであるが、本書はそれも交換という視点に徹して整理しているので分かりやすい。
組織の中で働く人たちが皆この本を読んで種々の交換を始める状況を想像すると、無意味な衝突が減り組織の円滑さが増すさまが浮かぶ。しかしそもそも組織の中で人々が何のために交換をすべきなのかという点が本書の中であまり強調されていないことにも気づく。著者は暗黙に前提していることと思われるのだが、それは(経済学での交換における消費者のような個人的満足ではなく)チームや組織としての「成果」のためである。つまり成果を上げねばならない点での合意はできていることが前提されている。従って、リーダーシップ論の言葉で表現すると、この本はP (performance,成果)とM(maintenance,人間関係)というリーダーシップの2要素のうちのMの、合理的な実践に焦点を合わせたものであるとも言えるかもしれない。著者はリーダーシップという手垢のついた言葉を(上司や部下との関係を扱った最後の方の章に至るまでは)慎重に避けているが、M要素を合理的かつ実践的に説いているという意味では本書はリーダーシップ開発の格好の教材にもなるだろう。この本をもっと早く読みたかったと思う読者が多数出ることが予感される。高嶋成豪・高嶋薫両氏による翻訳はこなれていて非常に読みやすい。
アラン・コーエン、デビッド・ブラッドフォード著『影響力の法則』税務経理協会
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