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2007年6月の2件の記事

2007年6月 6日 (水曜日)

Google, Flickr and iPhone

久々に電子文具談義。手帳をなくすのが怖いばかりに予定表とto-do listを電子化して二年余り経ちました。電子化してローカルにデータを貯めて機械をなくしては元も子もないので、予定表もto-doもネット上に置いておくのが一番ですね。

まず試したのがアップルのiCal。これはインターフェースはアップルらしく美しいのだけど、家とオフィスのMacを同期するiSync(のち.Mac sync)が(.Macを使っているせいか)不安定で時々更新に失敗することがあります。.Macサービスの遅さ・不安定さはアップル最大の弱点かも(iPhotoからすぐウェブ上にアルバムを作れるiWebもそのせいで台無しになっている印象があります)。

予定表とは別の話に早速脱線ですが、iSyncには家とオフィスのMacで使うブラウザ(Safari)のブックマークを同期する機能があり、これもブックマークが巨大化してくると結構誤動作がありました。ブラウザをSafariではなくFirefoxに替えたら、Firefoxはそれ自体でやはりネットを使って複数マシンのブックマークを同期する機能を持っていたのでそちらに替えました。Safari>iSyncの場合よりも同期してくれる情報が多い(ブラウジングの履歴や開いているウィンドウのアドレスまで同期可能)し動作も確実なのでこれは正解でした。

予定表の話に戻ると、iCalを諦めて次に試したのが37signalsのBackpackとYahoo!です。Backpackの予定表の方が美しいのですが、携帯から読み書きできるYahoo!カレンダーに落ち着きました。Yahoo!カレンダーはウェブ上に予定表を置いて、一つのファイルを複数のパソコンや携帯から読み書きします。ホストがダウンしたら手帳を無くしたのと同じことになりますが、時々パソコンにファイルで書き出しておけば、「向こう一年間の予定を無くした」ってなことはなくなるのでまあいいでしょう。

Yahoo!カレンダーを暫く使っていましたが、携帯からの操作性が良くないし見た目も美しくないので、大画面の携帯に替えてパソコン版を直接読み書きするか、スマートフォンを1台持つかを検討中で、台湾製のスマートフォンをほとんど買いそうになりました。ちょうどそのときGoogleが別のソリューションをくれました。5月末からGoogleカレンダーが携帯にも対応したんです。それ以前は携帯対応と言ってもお知らせメールを携帯に送ってくれるだけでしたが、今度はYahoo!と同じように携帯から読み書きできます。しかも2.9インチとかの大画面でなくても充分使えるインターフェースです。Yahoo!より使いやすいと思います。これでアップルから日本版のiPhoneが出るまで(笑)大画面だけを狙って携帯を買い替える必要はなくなりました。to-doリストはついていないのですが、これもそのうち付くかも。to-do listは携帯用の無料サービスがいくつかあり、僕はcheckpad.jpというのを使っています。

実はメールも暫く前にアップルのMailからGoogleのGmailに替えてしまいました。MailはIMAP4という2,3年前には先進的だった方式に対応していて、既読ポインタや下書きをサーバ上で共有できるので、自宅からとオフィスのメール関係の環境が常に同期している点は優れていました。しかしADSLや光ファイバーや無線LANの普及で常時接続が当たり前になり、メール本文をダウンロードしてパソコン内に貯めておくことの意味が薄れ、逆にセキュリティの観点からはむしろ貯めておかないことの積極的な意味も出てきたので、IMAP4よりもいっそウェブメールの方が良いという流れになったんじゃないでしょうか。他の機能から言っても現時点でGmailは優れものです。4月頃だったか、このgmailも携帯に完全対応して、またまた便利になりました。いまは携帯のブックマークは、GoogleカレンダーとGoogleメールとcheckpad.jpが入っています。

Yahoo!とGoogleがネット関係の二大巨人なのだそうですが、僕の使用状況ではどんどんgoogleがシェアを高めています。唯一、写真関係は米国Yahoo!系のFlickrが、いまのところGoogleのPicasaよりも優れているので、Flickrを主に使っています。少々の年会費を払うと容量制限なし! 制限無しの魅力と安心感は大きく、僕は撮った写真はiPhoto経由で良いショットも悪いショットも選別せず全部Flickrに流し込んでしまい、オフィスから自宅からも再利用できるようにしています。これも結局、全てをウェブ上で一人共有するという点では上記のカレンダーやメールと同じ発想です。インターフェースはGoogleのPicasaの方が優れているので将来的にはFlickrの優位も絶対ではない気がしますが、機能と容量あたりの価格はまだFlickrが上です。

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2007年6月 1日 (金曜日)

空気を読む

 学生たちと接していて最近数年間特に感じられることの一つに、「空気を読む」ことの偏重をあげることができる。授業やゼミで意見を求められたときに、周囲の意見分布がどうであるか「空気を読んで」すばやく同調し、そこから大きく外れない(「安全運転する」)ことが嫌われない秘訣であるという処世術が幅をきかせている。周囲と違った意見が許容されるのは、その意見が笑いをさそうものであるという厳しい条件がつく。
 従って周囲を巻き込むような提案を行うことは極めてハードルの高い冒険になってしまう。というのは、十二分に「空気を読む」者でなければ何かを提案しても相手にされないどころか、ちょっと変な(と思われる)提案をすると「空気を読めない奴」という烙印を押されかねないからである。この烙印はいまの学生同士ではほぼ致命的な断罪であるらしい。
 「空気」と言えば、故・山本七平氏も『空気の研究』を書いていた。山本氏によれば、空気に支配されることは近代の日本人の弱点であって、例えば(山本氏の直接知る範囲では)戦前はまだ「いやしくも男子たるものはその場の空気に支配されるのは恥であるという伝統があったのがどんどん無くなっていった。無謀な戦争・無謀な作戦などもこのために行われた例が多いというのである。「いやしくも男たるもの」は、今なら「いやしくも人ならば」に、あるいは「いやしくもリーダーを志すものであるならば」と言い換えたほうがよかろう。
 「空気」は米国にももちろんある。PC=politically correctというのは、少し規模が大きいがまさに雰囲気・空気そのもののことである。911事件のあと、アメリカの外交政策を批判する者は即愛国心を疑われたため、アルカイダ掃討のためにまずアフガニスタンに、続いてアルカイダとは関係ないのだが大量破壊兵器があるらしいという口実でイラクに侵攻するというブッシュ大統領の決断にも批判は充分には起きなかった。これはそうした空気に引っ張られてのことだろう。炭疽菌騒動のような今思えば訳の分からないヒステリーのようなものに対しても、当時は正面からの批判は少なかった。公の場で一貫して批判していたのはマイケル・ムーアのような、芸人の才覚と河原乞食の覚悟のある人々のみではないか(学生たちの間で、「空気」から逸脱することが大目に見られるのは笑いを狙った時だけであるというのはこれと一脈通ずるものがある。ただし笑いをとれなかった場合の結末は学生の場合は遥かに気楽である)。想像するにマッカーシー旋風のときも似たような空気に支配されていたのではなかろうか。
 「空気」に支配される日本人と「PC」に縛られる米国人の違いは、現代日本人の気にする「空気」が半径3メートル限定のものであっても支配力を持ち、米国人のその半径がいささか大きい、という気団の規模の違いかと思われる(高気圧や低気圧のような空気の塊を気象学では「気団」と総称するようだ)。気団に支配される点は日米共通なのではないか。明治期やそれ以前の日本人には、山本氏の言うようにその場の(半径3メートルの)空気に支配されるようでは「男(人間)がすたる」という恥の観念があったのだとしたら、気団の規模はもっと少なくとも車座や会議室の3メートルや10メートルではいけないという自覚があったということだろう。今の学生にそうした恥や自覚がないことは山本氏の言う通りで、さらに悪いことに学生より年上の大人にも極めて稀になってしまったように見受けられるのである。

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