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2007年5月20日 (日曜日)

『貯蓄から投資へ』の今昔(続き)

1月にここに書いたエントリーを見てくれたらしい『金融ジャーナル』の編集者から連絡があって、あれを拡充して書いてほしいと言われた。1月のエントリーでは最近数年政府が言っている「貯蓄から投資へ」は昭和30年代の「証券から銀行へ」によく似ているという面を強調して書いていた。そこで、昭和30年代とは違う点を三つほど書き足して編集部に送る。

(1)経済学で言う「貯蓄から投資へ」は、全然違う意味になる(これは1月にも書いた)

(2)昭和30年代は「証券」業界と「銀行」業界がほとんど全く別の業界だった。しかし今は持ち株会社を通じて銀行業務と証券業務の両方を持っている金融グループがかなり多いので、往時の「業界自体の格として銀行業界と対等になりたいという証券業界の悲願」のようなものは既に消滅したと言っていい。これには外資系証券会社がM&A仲介やデリバティブなどの業務を通じて大活躍したことも大きく効いている。

(3)今度の「貯蓄から投資へ」キャンペーンには、株式投資を学校教育にも採り入れようという構想がある。そのこと自体は結構なのだが、大学で経済学や経営学を教える者としては中学生や高校生はもちろん、大学生に株式投資を奨めることにはかなり違和感がある。筆者は現在大学で学部一年生~三年生にリーダーシップ教育を行うプログラムを担当している。そこで涵養しようとしているのは、地位に基づかず自然発生的で(emergent leadership)同僚に貢献する(servant
leadership)ことによって組織を動かし成果をあげるリーダーシップで、現在の日本では、トップマネジメントだけでなく組織や社会の全レベルに必要な資質なのではないかと考えている。こうしたリーダーシップと、株式投資に必要な知識や態度のある部分と相いれない要素がある気がしてならない。

まず、自分が働いたり経営したりする企業の株式を買うことには違和感はほとんんどない。経営者ならば自社の株式をある程度持つ義務もあってよいだろう。従業員に先んじて株式を売却することについては厳しいインサイダー取引規制があれば、我先に逃げ出すこともしづらくなるから経営責任をもつことにもなる。

しかし、自分が働いてもいないし実質的に経営に関与もしていない企業のことを調べて投資することを若者に奨めるのは、一獲千金をめざすように促すようなものである。しかもその一獲千金は、他の人たちが売る前に先んじて売ることによって最大限に実現される。そのような機会を常に狙っているような人は、同僚に信頼されるリーダーになれるのだろうか。自分の後継者を育て、自分がいなくなっても組織がうまく回るのを見届けてから退場するのが「第五水準のリーダーシップ」(ジェームズ・C・コリンズ)である。第五水準のリーダーシップと、抜け目ない株式投資とは並び立たないのではなかろうか。実はこれが大学教育の現場での最近の筆者のかかえる迷いと疑問である。

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