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2007年3月 5日 (月曜日)

水平的リーダーシップの米国的?土壌

先日、日本ストライカーの松坂暲政さんと雑談していた。松坂さんは永らく日本IBMで人事一本で来られた方で、わが国の人事畑では知らない人がないくらいに有名な方だと聞く。そんな方に講師で来ていただいているのだからBLPを受講している学生たちは幸せだし、大先輩なのに同僚として毎週ご一緒している私も光栄という他ない。

 コーヒーを飲みながら松坂さんのおっしゃるには、企業で働く米国人たちは普通job descriptionに書いてある「これをしなさい」は実行するが、「これをしてはいけない」という禁止事項も熟読していて、どちらにも書いてないことは自由にやっていい(やらなくてもいい)のだと解釈する。それが同僚や上司の領分を実は侵すことになってもjob descriptionの禁止事項に書いてなかったと主張すれば通るからである。どうしてそんな、頼まれもしないことをするかというと、会社に必要なことで自分にしか分からないことを作っておけば、自分の地位が安泰になるからである。会社のためになることを新たに発見して率先して実行するのは感心だが、それをちゃっかり自分にしかできないようにしておくのである。(job descriptionの禁止事項に書いてあるかどうかを別とすれば、終身雇用の崩れた日本の企業でも日常的に起きそうなことではある。)

Allan Bird氏の昨年の講演にもでてきた「誰もが水平的リーダーになれる」がこうした風景を前提にしているのならば、いかがなものか。つまり「誰も気付いていない問題を見つけなさい。そしてそれを解決しなさい。次にその問題について誰かが扱うときにはあなたに質問に来て、その次には許可をとりに来るだろう」というのが水平的リーダーシップの意味なのだとしたら、手放しで誉められるようなものなのだろうか。

さらに、コリンズ(Good to Great)のいう第五水準のリーダーは、自分がいなくなっても後が勤まるように後継者を育成しておくものだというのだが、上のようなセンチメントであると当然に後継者育成には身が入るまい。すると第五水準のリーダーは、その会社での地位の維持には頓着せず、いくらでも次の職の見つかるような人にしかなれないものなのだろうか。

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