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2007年3月の3件の記事

2007年3月31日 (土曜日)

Pasmo

このメルマガ(金融・経済メールマガジン)は約5年間に渡って発行されてきて、相当数の方に読んでいただいてきましたが、日本評論社のメルマガとしての発行は今回の号が最後で、来月以降はメルマガ発行サービス「まぐまぐ」に移行します。移行するついでに、「日向野幹也の研究室」ブログの最新エントリーをhtmlメールで配信することにしました。

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2007年3月17日 (土曜日)

Servant leader

松坂さんとお話ししていてもう一つ面白かったのは、女性で大きな組織の中でリーダーとして頭角を現していった人には、サーバントリーダー型の人が多いということだ。サーバントリーダーのことは私はニューシェルの本(『ケロッグMBAスクールで教えるリーダーシップ・エッセンシャルズ—組織・人材パワーの発揮へ 』、生産性出版、2006)で知って、とても面白かった。短く言うと、倫理的に優れたリーダーは、フォロワーに対して、彼らがより健康に、より賢明になって任務を全うしてくれるようにさまざまに気を配る責任を持っている。それをサーバントリーダーと呼ぼうというのである。

後日、神戸大の金井壽宏さんに、サーバントリーダーという概念は、ニューシェルよりもグリーンリーフが先であると教えてもらった。ニューシェルの本に参考文献のページが無かったからと言い訳したいところだが、リーダーシップ論の教科書(例えばYukl)を見ればグリーンリーフのことはちゃんと書いてあるので言い訳にもならない。

それはともかく、ニューシェルは職業軍人出身だという。軍隊のような命令絶対の組織(明白な不服従には死刑という罰さえあるような極端な組織)においてさえ、部下がどれほど意欲をもってくれるかによって部隊のパフォーマンス(成績)が大きく左右される。部隊の指揮官がサーバントリーダーであれば部下は喜んでついてくる。いわんや生死を賭すわけではない企業組織においてならばなおさらそうであるはずだ、とニューシェルは言いたいのだろう。

軍隊については、塩野七生さんも似たことを書いていたのを思い出した。イタリア旅行の文章だったと思うが、同じ船に乗り合わせた将校らしき軍人にどこの部隊かと尋ねたら「para」つまりパラシュート部隊、空挺部隊だという。前線の後方つまり敵地に降下する等の極めて危険な任務につく部隊の指揮官として、日頃から最も気にかけているのは戦闘中に限らず平時の部下の身辺のことや部下の家族のことである、そのように気を配っていればこそ、いざというときに部下は頑張ってくれるというのである。そういえば、空挺部隊のことを描いた映画(メル・ギブソン主演の『We were soldiers 』やスピルバーグとトム・ハンクス制作の『Band of brothers』には、指揮官(小隊長)がいつも最初に飛行機から飛び降りるという、他の部隊とは違う空挺師団の習慣が描かれていたのも思い出されるし、『硫黄島からの手紙』で渡辺謙演ずる栗林中将も(事実かどうかは未確認だが映画では)最後の夜襲で「余は常に諸君らとともにあり」と言っていた。

元軍人のニューシェルの示唆するように、企業においては部下に軍隊ほどには厳しいインプット(しばしば生命)を要求するわけではないので、上司がサーバントリーダーであれば、部下の意欲を引き出すには一層効果的であるとしよう。そうすると、冒頭に書いた「女性で大きな組織の中でリーダーとして頭角を現していった人には、サーバントリーダー型の人が多い」のは何故だろう? 「出る杭は打たれ」たり足を引っ張られて失脚するリーダー候補者が多い中で、サーバントリーダー型であれば支持者が多く昇進に異論が出にくいということだろうか。

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2007年3月 5日 (月曜日)

水平的リーダーシップの米国的?土壌

先日、日本ストライカーの松坂暲政さんと雑談していた。松坂さんは永らく日本IBMで人事一本で来られた方で、わが国の人事畑では知らない人がないくらいに有名な方だと聞く。そんな方に講師で来ていただいているのだからBLPを受講している学生たちは幸せだし、大先輩なのに同僚として毎週ご一緒している私も光栄という他ない。

 コーヒーを飲みながら松坂さんのおっしゃるには、企業で働く米国人たちは普通job descriptionに書いてある「これをしなさい」は実行するが、「これをしてはいけない」という禁止事項も熟読していて、どちらにも書いてないことは自由にやっていい(やらなくてもいい)のだと解釈する。それが同僚や上司の領分を実は侵すことになってもjob descriptionの禁止事項に書いてなかったと主張すれば通るからである。どうしてそんな、頼まれもしないことをするかというと、会社に必要なことで自分にしか分からないことを作っておけば、自分の地位が安泰になるからである。会社のためになることを新たに発見して率先して実行するのは感心だが、それをちゃっかり自分にしかできないようにしておくのである。(job descriptionの禁止事項に書いてあるかどうかを別とすれば、終身雇用の崩れた日本の企業でも日常的に起きそうなことではある。)

Allan Bird氏の昨年の講演にもでてきた「誰もが水平的リーダーになれる」がこうした風景を前提にしているのならば、いかがなものか。つまり「誰も気付いていない問題を見つけなさい。そしてそれを解決しなさい。次にその問題について誰かが扱うときにはあなたに質問に来て、その次には許可をとりに来るだろう」というのが水平的リーダーシップの意味なのだとしたら、手放しで誉められるようなものなのだろうか。

さらに、コリンズ(Good to Great)のいう第五水準のリーダーは、自分がいなくなっても後が勤まるように後継者を育成しておくものだというのだが、上のようなセンチメントであると当然に後継者育成には身が入るまい。すると第五水準のリーダーは、その会社での地位の維持には頓着せず、いくらでも次の職の見つかるような人にしかなれないものなのだろうか。

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