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2007年1月10日 (水曜日)

「貯蓄から投資へ」の今昔

最近数年、政府が「貯蓄から投資へ」と言う。いつ頃であったかちょっと調べてみると、遅くとも2003年7月には小泉前首相と金融庁が揃って言及し ている。このときは証券税制を改革(軽減)して、銀行預金から証券投資へと家計の資金の流れを誘導するキャンペーンであった。その方針は今でも続いている ようである。似たようなキャンペーンは実はかなり前からあった。それに加えて金融論やマクロ経済学では「貯蓄から投資へ」は昔から少々違う意味で使われ る。その意味でこのスローガンはいろいろなことを思い出させるのである。その両方について説明してみよう。まず業界のスローガンとしての側面である。

敗戦直後からずっと、証券業界は銀行業界と対等になりたいという悲願を持ち続けていたが果たせず、財政当局と証券投資特に配当にかかる税金の軽減交渉を続けたが、はかばかしい成果はなかった。

証 券業界にとって希望の光が見えたのが田中角栄氏が大蔵大臣になった1963年であった。田中大臣はかねてより経済成長のための資金供給ルートとして「証券 と金融(銀行)は車の両輪」という意見の持ち主であったため、後に証券業界を大変苦しめることになる公社債投資信託など、実質的に固定利回りの商品を供給 開始するのを後押しした。このとき証券業界は意気揚々で、ビルの屋上から「銀行よさようなら、証券よこんにちは」という垂れ幕を下げるほどであった。今日 「貯蓄から投資へ」と言われるスローガンは、実質的にこれと非常に近いことを指している。すなわち国民の金融資産に占める銀行預金・郵便貯金の割合が高す ぎるのが問題であるから、証券への投資を促そうというのである。当時は成長のための資金供給源として使えるのではないかという期待、現在はリスクマネーの 供給源としての期待であるから、政策当局の狙いとしてもかなり似通っている。逆に言うと1960年代に立てられた目標が40年後の今もまだ達成されていな いということでもある。

そうなってしまったのは、1960年代半ばの証券不況が、山一証券の破綻という危機とその救済という形で終 わったことに負うところが大きい。証券業界側は、公社債投資信託で集めた資金を株式投資に回して証券市況を回復させようという腹積もりであったが、そう いった買い支えによっては市況はそれでは一向に回復せず、証券会社の業績も回復しなかった。ついに1965年5月に山一証券は、公社債投信の解約ラッシュ に対応しきれず破綻し、日銀による特別融資を受けるに至った。

これより以前から、証券業界全体の地位をあげるために証券業への参入 を免許制にして業者の質をあげるべきだとの計画があり、日銀による山一証券救済という事件で、この計画実行が早まった。法律改正により免許制が実現したの である。しかし特別な救済が必要になったことが響いて、その後証券市況が高度成長により回復しても、政策的に証券市場を銀行と対等な立場に上げようという 動きは決定的に弱くなってしまったと言ってよい。

1973年の石油危機による不況と税収の急減から、赤字国債が大量に発行され始 め、その消化のために公社債市場が使われざるを得なくなったが、それは証券市場のうちの、あくまでも債券の部分であって株式ではない。株式市場が銀行貸出 市場と並ぶ重要な資金調達の場、あるいは企業評価の場であるという認識(とくに政策当局による認識)はこの石油危機後実に30年間封印されたままだったと 言える。

このように、2003年頃から言われている「貯蓄から投資へ」は、30年以上前の「銀行から証券へ」のリバイバルという面を持っているのである。

ところで、「貯蓄から投資へ」にはもう一つの、ほとんど全く違う意味がある。マクロ経済学や金融論を学んだことのある人ならば、「貯蓄から投資へ」と聞けばむしろこちらを思い出すはずである。ちょっと経済学そのものになって恐縮だが、しばしおつきあいいただきたい。

  貯蓄は国民全体としての正味資産(資産マイナス負債)の増加である。他方、投資とは国民全体としての実物資産の増加である。従って貯蓄と投資の差額は金融 資産マイナス負債になるのだが、海外との取引を無視すると(あるいは海外を全部入れて世界全体で考えれば同じになる)、誰かの金融資産や誰かの負債になる から打ち消しあって、結局正味資産の増加と実物資産の増加は等しくなる。つまり貯蓄と投資は等しくなる。

 ここで注意すべきことは2つある。1つ は、経済学で言う貯蓄というのは貯金のことではない。貯金なら金融資産(またはその増加)になる。貯蓄は収入のうちで消費しなかったもの全部であるから、 プラスである場合には金融資産を買う(借金を返す)and/or実物資産を買うのである。これが正味資産の増加つまり貯蓄に他ならない。また、投資は実物 投資であって、株式投資のことではない。それほどに日常語でいう貯蓄や投資とは違うというか、もっと限定された意味なのである。

 もう1つは、な るほど事後的には国全体(または世界全体)で貯蓄と投資は等しくなるのだが、両者が食い違いそうになったときは、国民所得が上下してこれを調節する。これ がマクロの経済変動である。つまり、貯蓄が投資より大きいときには、マクロの所得が減少する、すなわち不況やデフレになる。逆に投資の方が大きいときには 所得が増加する、すなわち好況やインフレになる。

 貯蓄と投資のこうした関係を裏面つまり資金面から見ると、所得のうち消費されなかった部分は銀 行に預けたり証券を買ったり現金で持ったり(一部は耐久消費財を買ったり)する。銀行から円滑に企業に貸し出されれば企業の実物投資の資金として活用され るのだが、銀行が不良債権を恐れて貸さないとか、企業が負債を増やしたくないので借りないとかいうことがあると、銀行に滞留したままになる。ごくおおざっ ぱにいうと1990年代から21世紀の初めに日本で起きていたことはこれである。「貯蓄から投資へ」というスローガンは、そういったことがもう起きないよ うに、円滑に資金が流れるように銀行が(貸す当てがないのに)預金を集めすぎないとか、いったん貸した貸出を再び市場化する等の体制を整備して、再び金融 発の不況にならない体制を構築するという意味であろう。

 以上を要するに「貯蓄から投資へ」を証券業界は株式市場振興という意味でとらえたがる。「貯蓄ではなく」「もっと投資を」である。 「銀行よさようなら、証券をこんにちは」の現代版である。他方、経済学者は「貯蓄よりもっと投資を」ではなく、貯蓄という入口と投資という出口の間を、資金が円滑に流れるようにしようというだけの意味でとらえる。入口より出口が大切という意味では全然ない。 その意味では「貯蓄から投資へ」は、呉越同舟というか同床異夢というか。あるいは小泉内閣には珍しく、両方に読める「玉虫色」だったのかもしれない。

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