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2005年1月25日 (火曜日)

吹奏楽の将来

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全国の中学や高校で吹奏楽はかなり盛んな部活動であるようだ。新聞社と吹奏楽連盟の主催で、毎年春から秋までかけて地区大会・県大会・西関東大会・全国大会、と高校野球のような長期戦の勝ち抜きコンクールが行われる。特に私の住んでいる埼玉県は全国でも最も吹奏楽の盛んな地区の一つらしい。

最後は「吹奏楽の甲子園」とも言われる東京・普門館での全国大会である。全国大会はもちろん、例えば一つ手前の西関東大会(埼玉・群馬・新潟・山梨の各県大会から選抜)であっても、そこに進出してくるバンドの上手さはまさに驚異的で、音楽的にもうならされるような演奏が数多い。指導者の指導力・音楽性は厳しく試されるし、子供たちもかなり厳しい練習を積んでいて、ある程度の成績をおさめたときの達成感や興奮、従って親や学校の熱心さはスポーツ系の部活動に優るとも劣らないようだ。30人とか、50人での団体競技というのもスポーツ系にない魅力である。

ところが世間一般においては吹奏楽は正しく認識されていないこともこれまた多い。最も多いのは「それ、ブラスバンドでしょ?」という誤解である。どっこい吹奏楽には木管もパーカッションもある。ブラスバンドでは見ないがクラシックの管弦楽には必須のファゴット(バスーン)や弦バス(コントラバス)も吹奏楽にはある。実は曲目もクラシック系が主流である。言い換えると、クラシックのオーケストラのバイオリンをクラリネットに変え、ビオラやチェロを種々の木管・金管に変えてクラシックの曲目を演奏するのである。全日本吹奏楽連盟のコンクールではAバンド部門は上限50人だそうで、50人近いバンドではクラリネットまたはフルートがかなりの数になるのが普通である。従って自ずと曲目もブラスバンドとは異なってくる。

オーケストラでもないしブラスバンドでもない、というなかなか理解されにくい編成で、しかし独自の世界を展開しているのだが、どうなのだろう、中学生にはバイオリンを弾かせるのは無理なのだろうか。吹奏楽にあっては弦楽器はベース(バス)しかないが、曲目によってバイオリン・ヴィオラ・チェロのないのが大変寂しく思えることが少なくない。また、弦セクションがありさえすれば演奏できるだろうにというクラシックの名曲も多い。原曲が管弦楽であるものを弦なしで済ませるように編曲がいつも待望されていて、いい編曲が出版・発表されたときには一気にその曲がコンクールで流行るような現象もあるようだが、しかし編曲で対応するのにも自ずと限界がある。

もうそろそろ吹奏楽に代えて管弦楽の普及をはかっていいのではないか。比喩が悪くて恐縮だが、吹奏楽は軟式テニスの運命を歩むような気がしてならない。ボールやラケット(ガット)が高価で入手できない時代に独自の道具でいわば代用テニスを開発し、それなりの世界を築いてきたのだが、海外との試合の機会が極端に限定され、内向きの国内種目になってしまい競技人口も増えないまま衰退の道を辿っているようだ。軟式から硬式に転向するプレーヤーも少なくない。軟式出身者には厚いフォアハンドのグリップに慣れているという長所があって、これを活かせると硬式のラケットに持ちかえても強力な武器になる。同様に、吹奏楽経験者にはクラシック音楽演奏と多人数での合奏の貴重な経験があって、管弦楽にはこれはそのまま活きるだろう。

中学や高校のバンドには、吹奏楽で培ったハーモニーを、さらに表現力の多彩な管弦楽の世界で発揮させてあげられないかと思う。中学・高校で管弦楽部を作るところが増えてくれないものか。弦の上達が難しいため、管弦楽に移行すると吹奏楽に比べてコンクールでの演奏の完成度が落ちるようなことがあるかもしれないが、それでも長い目でみれば日本のクラシック音楽の底辺を広げ、水準を上げるのに大いに貢献するのではないか。

中学・高校でバイオリンを弾く機会があれば、多くの卒業生がアマチュアや大学の管弦楽団へ自然な形で移ってくれるだろう。中学・高校の吹奏楽を管弦楽に転換することによって、バイオリンは音大に行くようなごくごく一部の特殊な人だけが弾くものだという今の状況が変わり、十年で日本のクラシック音楽界が様変わりするかもしれない。

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