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2005年1月の13件の記事

2005年1月25日 (火曜日)

吹奏楽の将来

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全国の中学や高校で吹奏楽はかなり盛んな部活動であるようだ。新聞社と吹奏楽連盟の主催で、毎年春から秋までかけて地区大会・県大会・西関東大会・全国大会、と高校野球のような長期戦の勝ち抜きコンクールが行われる。特に私の住んでいる埼玉県は全国でも最も吹奏楽の盛んな地区の一つらしい。

最後は「吹奏楽の甲子園」とも言われる東京・普門館での全国大会である。全国大会はもちろん、例えば一つ手前の西関東大会(埼玉・群馬・新潟・山梨の各県大会から選抜)であっても、そこに進出してくるバンドの上手さはまさに驚異的で、音楽的にもうならされるような演奏が数多い。指導者の指導力・音楽性は厳しく試されるし、子供たちもかなり厳しい練習を積んでいて、ある程度の成績をおさめたときの達成感や興奮、従って親や学校の熱心さはスポーツ系の部活動に優るとも劣らないようだ。30人とか、50人での団体競技というのもスポーツ系にない魅力である。

ところが世間一般においては吹奏楽は正しく認識されていないこともこれまた多い。最も多いのは「それ、ブラスバンドでしょ?」という誤解である。どっこい吹奏楽には木管もパーカッションもある。ブラスバンドでは見ないがクラシックの管弦楽には必須のファゴット(バスーン)や弦バス(コントラバス)も吹奏楽にはある。実は曲目もクラシック系が主流である。言い換えると、クラシックのオーケストラのバイオリンをクラリネットに変え、ビオラやチェロを種々の木管・金管に変えてクラシックの曲目を演奏するのである。全日本吹奏楽連盟のコンクールではAバンド部門は上限50人だそうで、50人近いバンドではクラリネットまたはフルートがかなりの数になるのが普通である。従って自ずと曲目もブラスバンドとは異なってくる。

オーケストラでもないしブラスバンドでもない、というなかなか理解されにくい編成で、しかし独自の世界を展開しているのだが、どうなのだろう、中学生にはバイオリンを弾かせるのは無理なのだろうか。吹奏楽にあっては弦楽器はベース(バス)しかないが、曲目によってバイオリン・ヴィオラ・チェロのないのが大変寂しく思えることが少なくない。また、弦セクションがありさえすれば演奏できるだろうにというクラシックの名曲も多い。原曲が管弦楽であるものを弦なしで済ませるように編曲がいつも待望されていて、いい編曲が出版・発表されたときには一気にその曲がコンクールで流行るような現象もあるようだが、しかし編曲で対応するのにも自ずと限界がある。

もうそろそろ吹奏楽に代えて管弦楽の普及をはかっていいのではないか。比喩が悪くて恐縮だが、吹奏楽は軟式テニスの運命を歩むような気がしてならない。ボールやラケット(ガット)が高価で入手できない時代に独自の道具でいわば代用テニスを開発し、それなりの世界を築いてきたのだが、海外との試合の機会が極端に限定され、内向きの国内種目になってしまい競技人口も増えないまま衰退の道を辿っているようだ。軟式から硬式に転向するプレーヤーも少なくない。軟式出身者には厚いフォアハンドのグリップに慣れているという長所があって、これを活かせると硬式のラケットに持ちかえても強力な武器になる。同様に、吹奏楽経験者にはクラシック音楽演奏と多人数での合奏の貴重な経験があって、管弦楽にはこれはそのまま活きるだろう。

中学や高校のバンドには、吹奏楽で培ったハーモニーを、さらに表現力の多彩な管弦楽の世界で発揮させてあげられないかと思う。中学・高校で管弦楽部を作るところが増えてくれないものか。弦の上達が難しいため、管弦楽に移行すると吹奏楽に比べてコンクールでの演奏の完成度が落ちるようなことがあるかもしれないが、それでも長い目でみれば日本のクラシック音楽の底辺を広げ、水準を上げるのに大いに貢献するのではないか。

中学・高校でバイオリンを弾く機会があれば、多くの卒業生がアマチュアや大学の管弦楽団へ自然な形で移ってくれるだろう。中学・高校の吹奏楽を管弦楽に転換することによって、バイオリンは音大に行くようなごくごく一部の特殊な人だけが弾くものだという今の状況が変わり、十年で日本のクラシック音楽界が様変わりするかもしれない。

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2005年1月24日 (月曜日)

うなずく米国人・見つめるイタリア人

挨拶がわりに、アメリカ人はよくうなずきます。そればかりか、道で知らない人と目が合ってしまった場合も、うなずきますね。目があって慌てて目をそらすと、少なくともそれまで不審の目つきで見ていたことがバレる(というか、そう思われてしまう)ので、「いや敵意や不審の念はないのだ」と示す意味だろうと思います。

イタリアでは、米国と対照的に、無遠慮な視線に出くわすことがよくあります。日本人以上に、平気でよそ者や女性をじろじろ見ますね。これは好奇心や警戒心をそのまま表に出しているんでしょう。その意味では開放的と言えなくはないですが、あまりひどいので睨み返したら驚かれたこともありました。つまり見つめることがoffenceであるという意識がないんですね。(逆にアメリカでじろじろ見られたら、それは意識したoffenceである可能性が高いでしょう。腕組みでもしていたらさらに確率は高いですね)

視線については米国とイタリアは両極端かもしれません。似たような文脈で、ロンドンのタクシーに乗ると最初に軽く話しかけてくることがよくありますが、これは客が大丈夫な(危険でない)人かどうかを確かめたいのでしょう。日本の一部のタクシードライバーのように自分の興味で話し続けるためではないようです。

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2005年1月23日 (日曜日)

Americans

アメリカ人の30代のカップルとリストランテで隣席になったとき、こちらも料理が来るまでどちらからともなくヒマですから話しているうちに、彼らのアパートが、80年代に合計8ヶ月僕が住んでいたニューヨークのUpper Westsideのすぐ近所だと分かって、86年にMetsが優勝したよね、とか、ゼイバーズって食料品店まだある?とか、すごく話が弾んだことがありましたが、しばらくしてワールドトレードセンター突入事件の話になってしまったのでほどなくして切り上げました。

あのまま話していれば、遠からず、市民5000人死んだっていうけど、僕だってあそこで働いていた中学時代からの友達を一人亡くしているんだ、だいたい東京大空襲の一晩10万人、ヒロシマナガサキ30万人はどうなんだよと言わざるを得なくなりそうだったからです。

アメリカ人の、とくに白人中流はパーティやディナーのマナーが洗練されている人が多いですが、親しくなったり酔ったりして一枚むくとなんとも酷い人種偏見やアメリカ至上主義にはまっていて救いがたいことも同様に多く、そういう場合には洗練されているマナーが何とも空虚です。この人たちの場合、彼(建築家と言ってました)の方はもしかしたら大丈夫そうでしたが、彼女の方がそのタイプに見受けられたので、負けるが勝ちと退散しました。

●喜怒哀楽

僕は(考えごとをしているときは外見はぼんやりしているのですが、それを別とすると)喜怒哀楽というか、感情がすぐ顔に出るほうで、今までそういうふうに顔に出ることが長いこといけないことというか、できれば克服したいことというふうに思っていました。ところが今回イタリアで、喜怒哀楽が分かりやすいために好かれたというか、よく分かってもらえたような気がして、それなら別に直さなくてもいいじゃんという開放的な気分になれました。例えば食事のときは美味しければすぐ顔に出ている気がするのでたぶん給仕や隣席の人たちにもそれが分かるんじゃないかと思います。帰国してまたしばらく経つとこの気分を忘れてしまう予感がして、惜しいとも思えてきます。

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大人の時間・子供の時間

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●大人の時間

イタリア人の食事風景で一つ、好ましく思えたのは、中年男だけ6人とか8人とかの団体で、結構お洒落して、休日に楽しそうに会食している姿。男だけの世界が強い点では昔から英国が有名で、昔のパブはまさにその典型ですが、イタリアでは男だけの席に例えば偶然知り合いの女性が通りかかったら誘い入れるかもしれないので、パブで永らく女人禁制をしいてきた英国とは違うでしょう。そんな彼らが例えば中年男8人しかメンツがいなくてもお洒落して嬉しそうに会食しているのは見ていて楽しかったです。

日本で中年男だけのグループ客がいるのは、休日ならゴルフ場とか草野球か。平日ならダークスーツで居酒屋ですかね。そう、イタリア男たちにとって、食べること、特に仲間や家族で集まってゆっくり賑やかに食事することに見いだす価値の大きさが半端でなく、おそらく日本の中年紳士にとっての居酒屋を上回り、もしかするとゴルフ・テニス・草野球のような中年休日スポーツの価値と同等かそれ以上なのかもしれません。賑やかと言えば、ふだんの声が大きめな彼らのこと、レストランも日本の居酒屋並みに賑やかです。携帯は着メロも高らかにがんがんかかってきて「え!なに?聞こえないよ」という感じで店外に出て行く人もいます(周囲に遠慮して外に行くのではなく周囲がうるさくて聞こえないから外に行くんです。これは日本の若い人たちが居酒屋でやっているのと同じ)


●子供の時間

大人がそうであるせいか、子供達はもっとはひどいのかも。中学生くらいの年齢の数十人のグループとレオナルド・ダ・ヴィンチ空港の同じゲートで一緒だったのですが、そのはしゃぎ方がすごい。周囲の迷惑なんて全く考えていないし、引率している先生らしき人も(特に気弱なタイプとは見受けられなかったんですが、それでも)全然注意しない。注意しようという発想すらない感じ。一番騒ぎ回っていた女の子は、興奮しすぎたか、後でげーげー吐いていました。

それを見て、なるほどこういうふうに少し痛い目にあうと自分で少しだけ修正して大人になっていくのか、その程度の修正で甘やかしているから大人になっても騒がしいのか、と変に納得。英米や昔の日本のように、行儀の悪い子にはお仕置きが待っているという気配はないですね。後日飛行機の中で読んだ英国の雑誌に、「最近はイタリア人男子の晩婚化が進んでいる。そればかりか親離れ・子離れも遅れていて、いまや成人男子の69%が平均35歳まで独身で親元にいたいと思っている」という統計が載っていました。69%?35歳?という数字に驚いて見直しましたが読み間違いではありませんでした。

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2005年1月22日 (土曜日)

ローマの食堂

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一年遅れの欧州出張記・特別篇、三番目はイタリアです

●リストランテとトラットリア

美味くて安い食事処をどう見つけるか、これはいつでもどこでも面白く難しい問題ですが、今回の経験からまた思い知らされたのは、「活字媒体に載ったらもうその店はダメ」ということです。『地球の歩き方』はもちろん最初から駄目ですが、Lonely Planetでも大同小異(もともとLPの食事処案内は価格偏重ですし)、ミシュランになんぞ載ったら価格が上がるか又は予約の列ができるのは必定です。

そこで手近な方法としては宿のフロントに尋ねることです。ただしこれにも落とし穴があって、木賃宿だと食事処案内も価格偏重になりがちです。泊まるだけなら一つ星とか星無しとかも僕は経験あるし短期間なら平気ですが、美味しい店の情報源としてのホテルならば、イタリアの場合まあ三つ星以上かなという気がします。逆に三つ星以上でも大型ホテルになってくると団体客も大勢いて、とにかく既に定評のある無難なところを紹介することになりがちかもしれません。三つ星か四つ星の小さなホテルで、食いしん坊そうなフロントの人に尋ねると吉、といったところでしょうか。

ローマでは最初2,3軒、活字に載っているところに行って全然ダメで、次に最初の宿(三つ星)の人が教えてくれたところに行ってまずまずで、その後自分の勘で数軒試したら悪くはないけど高めだったり不味かったりしました。そこで紹介されたもとのところに戻ったら店主が憶えていてくれてメニューに載ってないものとか出てくるようになりました。この店は気に入ってしまって、結局ローマ滞在後半の夕食はいつもそこでした(・・・という情報をどこか活字媒体に投稿して採用されるともうそれでアウトですね)。

慣れてきたので、店に入ると店主におおげさに声をかけ、椅子を確保したら奥の前菜置き場に見にいく。このクラスの安食堂では前菜は作り置きです。指さしてあれとこれ、それに炭酸のボトル、と頼みます(ボトルで通じなかったらボテッラとかボトッラとか言っているうちに通じる・・わはは)。前菜は野菜やキノコをふんだんに使ったものが多く楽しめました。次にパスタを食べるかどうかは腹の空き具合次第。スキップして肉か魚のメインディッシュに行くもよし、パスタだけ食べて打ち止めにするも良し。しかしパスタを食べてさらに肉と魚両方というのはさすがの僕でも無理でした・・・

前菜かメインディッシュに合わせてワインも頼む。ワインも炭酸もボトルで頼むので、いつも帰りは両手にワインと炭酸の大瓶を下げて酩酊で帰還でした。

炭酸は高速道路のサービスエリアみたいなところでAcquaと言ったらそれが出てきて、飲んでみると微炭酸。これが車内でぬるくなっても真水より美味しく飲めるので気に入ったのですが、今回はワインの合間に飲むと具合がいいのも再認識。日本のイタリアレストランでもデフォルトで置いてあるといいですね。普通の水だとガボガボになってしまいますが、微炭酸だと不思議にけっこう飲めてアルコール分解を促進し体にもいいはずです。(うるさいこと言えば、ペリエは炭酸がきつすぎて、食事の味を邪魔する気がします)

僕も食いしん坊なのを分かってくれたか、ドルチェとエスプレッソはおごってくれたりしました。明日は日本へ帰るという日は、頼まないのにいきなり肉系と魚系のスパゲティ2皿が出てきて、その後のメインディッシュに辿り着くのが大変でした。

●味の力強さ

この店で特に感じたのは、イタリア料理の味の力強さです。日本料理や日本のイタリア料理店の一部のような微妙なバランスとか舌触りとかではなく、例えば上質なオリーブオイルとガーリックとちょっぴりの赤唐辛子を基本にして、力強いというのか、夏でげんなりしているとき(というのは僕にはほとんどないので、二日酔いのときですかね)でも食欲をかきたてそうな味というか、本能に訴える力があります。日本の自称イタリア料理通なら「ちょっとこのスパゲティはゆですぎ」とか「太すぎ」とかうるさいこと言いそうですが、そういうことは本質的でないことを思い知らせてくれる、そんなパワーです。日本の中高級イタリア料理店でそういうパワーを感じたことがないのはどうしてなんでしょう。日本人の味覚に合わせて繊細さを重視しているからでしょうか。

●オーリオ

オリーブオイルをイタリア語ではオーリオと言うそうですが、テーブルに醤油のように置いてあるオーリオを手のひらにとって直接なめてみてびっくり。全然油っぽくなく、青い果実の香りと味がします。日本のスーパーでExtra Virgin Olive Oilと称して売っているものとは全然違います(よく探せば日本にもそういうのもあるんでしょうか。念のため今回現地で3缶買ってきました。重い重い)。逆に、炒めたり揚げたりするには油分が足りなさそうなので、料理用と食卓用は別のオイルを使っているのかもしれません。

白身の魚を焼いたものが出てきたときに、テーブル横で皮を剥いでしまうのですが、そのまま食べると「なぜ皮を剥いだんだよ」というくらい淡泊すぎる味になってしまいました。でもオリーブオイルをかけると良い具合です。

帰国して、秋のオーリオ収穫期に個人輸入しました。

●Pizzeria

87年にローマに行ったときよりも今回pizzeriaを多く目にするような気がしていたら、どうやらそれは事実らしいです。87年は、日本人がよく泊まる大きなホテルだったので日本人団体旅行者も多く、その人たち向けなのか、フロントに大きく「ピザ屋は夜だけです」とヘタな手書きの日本語で張り紙がしてあったりしました。

その頃はローマの人たちの中でも、昼にワインvinoも飲み大量に食べて、昼寝して、午後3時頃から仕事に戻り8時か9時まで働いて、夕食は軽くピザあたりを食べるというスタイルの人がかなり多かったのではないかと思います。実際、当時昼飯時に大衆食堂風のところに入ると、頼みもしないのに最初にワインが出てくるという経験も何度かしました。それなのに、当時は昼間にピザを食べたいという日本人観光客が多くて店を紹介できなくて困ったのでピザを食べたいなら夜ですよ、という張り紙をしたのではないでしょうか。

ところが今回はそういう経験はなく、周りの人にも昼間からワインを飲んでいる人は(いなくはないけど)少なくて、飲むならば夜という人が増えた気がします(ローマでも他でも平日はそうでした)。そうすると昔は主に夜食用だったピザを昼飯に食べる需要も出てくるからピッツェリアが増えたんでしょうか。ホテル近くのコインロンドリーの職員たちも近所からピザを買ってきてランチしてました。看板にピッツェリアと併記したリストランテも多い気がします。

テイクアウトの店も実に多く、特にチェーン系ではないところは個性があって面白いです。生地が厚いのと薄いのというバリエーションもあります。上に載っているものもさまざまですが、僕が急ぎの昼飯用に気に入っていたのは、トマトと緑のバジルやルッコラがたっぷり乗っていて、イタリア国旗のような色になっているピザです。

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Speak English?

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2004年4月、ローマに着いても最初の数日は雨まじりで肌寒くフランクフルトとセーターが手放せないので驚きました。今回の出張では三番目の国で、外国にいること自体には慣れましたが、やはりイタリアのインパクトは独特ですね。北部のミラノあたりだと、例えば夜中にミラノ駅前に急に降り立ったとすれば、字がイタリア語なのを除けば、ここはドイツですよと言われてもそうなのかもと思えなくはない景色です(ミラノ在住経験者とかは除く)。しかしローマはミラノとは違って、なんとなく猥雑な感じがして、ニューヨークにも似ています。でもニューヨークの戦闘的な感じとも違いますかね。南国であるせいでしょうか。

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2005年1月21日 (金曜日)

ザワークラウトと白青の壺

ドイツの食事で思い出したことが一つあります。Frankfurtではアップルワイン居酒屋に連れて行ってもらったのですが、ジャガ芋料理とかザワークラウトSauerkrautとか思い切りローカルなものを食べたいと行ったら、ちょっと当惑した顔をされました。特にザワークラウトSauerkrautと言ったときに顔が曇ったようです。Sauerkrautは単に酢漬けのキャベツです。

たかがキャベツの酢漬けにどうして顔を曇らせるのか分かりませんでしたが、そのときはそのままになっていました。欧州出張から帰ってきて、たまたま第二次大戦時の米独戦の映画を見ていたら

「See any Kraut tanks?」

とかしょっちゅうkrautという音が出てくるのに気付きました。前後から察するに、kraut=Germanという意味にしかとれません。つまり上は「ドイツ軍戦車は見えるか?」という意味のようなのです。

念のため辞書をひいてみると米軍が使っていた俗語で、Sauerkrautばかり食べている奴ら・キャベツ野郎=ドイツ兵という繋がりのようです。まったくいろんな悪口の言い方があるものですが、K氏が顔を曇らせたのも、そのせいだったかもしれないと思えます。日本人が米兵の真似をしてドイツ人のことをKrautsなどと言うのはもっての他でしょうね。

なお、上の写真の左奥にある白地に青い草模様の壺ですが、これと似たような大小の壺は例のアップルワイン居酒屋でも他でもよく見かけました。なんとなく西欧風でないような気がしたので、K氏に「あの模様の壺って、中東風とか?」と尋ねてみると「いやいや純正ドイツ風ですよ」との答え。どなたか模様と色の由来をご存じですか? 本当に古くからのドイツ風なんでしょうか。

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2005年1月20日 (木曜日)

Frankfurtにて・番外篇

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欧州出張記・番外篇第二弾はドイツです

Frankfurt am Mein近郊のIdsteinという市は、ゲルトカルテを使っているには使っているのですが、地元商店街で買い物すると商店街共通のポイントカードにポイントがたまって、駐車場もタダになる、というごく分かりやすいというか簡単な話です。実のところ、これならゲルトカルテなんていう仕組みを使うまでもないんですがね(この市には地下鉄はありませんし)。その意味では地域振興の性格の方が強いプロジェクトです。Idstein市内で買い物で貯めたポイントはまたIdstein市内で使える、市内駐車場でも使える、というわけですので、地域通貨の面もあると言えます。

もう一つTrierという市は、アルプスより北側では一番多くローマ時代の遺跡がある町だそうです。(って翌週ローマには行くからあまりありがたみがないんですが<笑>) ここでも地元の銀行が主体になって、Trier大学キャンパスや商店街でゲルトカルテの普及キャンペーンが行なわれていました。公共駐車場で駐車料金を払おうとしている人のところに美男美女のキャンペーン隊を配置して、「ゲルトカルテでお支払いいただけるなら、最初の5ユーロ入りのを一枚進呈します。アンケートに答えていただくと抽選で賞品もあたります」とかやっていました。キャンペーンついでに地元FM局にインタビューされて、英語で数分話したのですが、昼頃収録で午後4時半にオンエアと言ってたのが予定変更で3時半に放送されてしまい、聞き逃しました。

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●東西ドイツ

案内役のK氏によると、東西ドイツ統合の後、旧東ドイツ地域では西よりも賃金が低いので、西側からたくさんの企業が工場を建てるなどした時期がありました。これは統合当時にも盛んに報道されたことですね。ところが、EU統合で人や資本の移動がさらに自由になったので、旧東ドイツ地域はドイツ以外の外国との競争にさらされることになり、チェコやポーランドと張り合わなければならなくなりました。結局旧東ドイツ地域は惨敗してしまい、工場を閉鎖したり、チェコやポーランドに移転する企業が続出したそうです。

いまや旧東ドイツ地域は所得が低く失業も多く、西からは誰も移住しない状態。ただし、西に比べて遙かに自然に恵まれているので観光には向いているそうです。共産主義時代には、遺跡や古い建物のメンテナンスをまったく放置していたので傷んではいますが、破壊はしなかったので、手を入れてやれば観光資源として充分再利用できるものが多いと言われています。

ゼミの学生が4月から旧東ドイツ地域のワイマールに働きに行くのでワイマールのことを聞いてみると、市の予算が足りないので博物館を閉鎖したけれども、観光で地域振興をはかっているはずだと言っていました。そのとき彼が「ワイマール!東ドイツじゃないか」とちょっと軽蔑したような口調で言ったので「Eastern part of Germanyって言わなくていいの?」と聞き直したところから上の会話が始まったのでした。

●イタリア観・オランダ観

いまやドイツ人は世界一海外旅行をする(使う金額ベースで)国民になったそうです。そうでしょうね、かつては英国人だった時代がありますが、ドイツ人はほんとにどこに行ってもよく見かけます。ドイツ人の特に若い人には英語が通じるので話す機会も生まれやすいですね。80年代に来たときに受けた印象と違って、町を歩いている人に道を尋ねるときに英語でまず100%大丈夫、そのくらい英語を話せる人が増えているようです。Trierはフランクフルトから高速道路Autobahnで2時間くらい離れていますからかなり田舎で、そこで生まれ育った50代の人たちもなんとか英語を話していました。

次はイタリアに行くのでひとしきりイタリアのことが話題になりました。そこで僕のかねてからの持論を話しました。どういう持論かというと・・・・なにかとドイツ人はイタリアのことを見下すことがありますが、実はイタリアのことは大好きに違いないということです。ドイツの車の名前の多くがイタリアやスペイン系ですし、ゲーテの昔から、しょっちゅうイタリアに旅行します(80年代の夏に見た光景としては、スイスとイタリアの国境ブレンナー峠にはドイツナンバーのメルセデスにトレーラーをつけた車がぞろぞろ低速で走っていました。)K氏もドイツ人のイタリア好きは認めていました。

ついでですが、トレーラーをつけて移動、といったら「オランダ式だ」と言って笑っていました。ヨーロッパ人の好きな民族ネタ・国民性ネタです。オランダ繋がりで言えば日本の辞書には割り勘にする、を"go Dutch"と言う、と載っていたので僕も使っていました。フランス人やイギリス人には通じましたが、ドイツ人のK氏はその表現を知らなかったので、もしかするとこれは古い(もうあまり使われない)言い方なのかもしれません。それに、英語ではDutchでろくな意味になることがないので(かつては海外で覇権を競っていたライバル同士ですしね)、辞書には書いてないですが「割り勘にすべきでない状況で割り勘してしまう」という言外の悪い意味がありそうです。

そういう国民性ネタに接したときに、分かる限りで一緒に笑ってもいいんですが、日本人は適当な距離感をもつべきでしょうね。英国人やドイツ人になったつもりでオランダを馬鹿にしては変ですし、ましてアメリカ人にすり寄って名誉白人をめざすのももっと変です。あと、日本人はどうなんだと突っ込まれたときには、こうだと思う、と説明する努力義務くらいはあるかも。日本人はどうなんだ繋がりで(どんどん脱線する)、よく日本の伝統芸能のことを外国人に説明できないのが情けないと聞きます。しかしK氏もそれからTrierの50代の銀行マンF氏も、Trierのイベントでピアニストが弾いていた音楽がバッハのカンタータであることを知りませんでしたし、K氏は自分の彼女がバスク系なのに、作曲家のRavel(Boreloで有名)の母親がバスク人であることを知りませんでした(ちとこれは細かいか)。彼らも自分たちの伝統的な芸術を知らないわけで、僕が歌舞伎や能を知らないのと比べて、まあ一種のお互いさまでしょうか。
(2004年3月)

K氏(左)、F氏(中央)、筆者。Trier市にて
(このあとK氏とアップルワイン居酒屋へ)

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2005年1月19日 (水曜日)

旅行小切手

●旅行小切手

カードが使えるかどうかという話の続きで言えば、イタリア国内では旅行小切手(T/C)の通用度がめっきり低いようです。ちょっと田舎に行くと三つ星ホテルのフロントでT/Cによる支払いを断わられたり、銀行で両替しようとするとがっぽり手数料を取られたりします。もっとも、もともと国内旅行でT/Cを使っておらず現金を持ち歩くのが普通という国であれば急にT/Cが普及しないのも無理はなく、クレジットカードが普及しているからまあいいかと諦められなくはありません。それから、日本からの旅行者としては、PlusとかCyrrusといったATMの世界ネットワークに入っている銀行の(できれば手数料無料をうたっている)キャッシュカードを持って行くとイタリア各地(に限らず世界じゅう)の銀行のATMから現地の現金を引き出せて便利です。

そのクレジットカードも、ホテルならまず大丈夫ですが、レストランでは通用しないことも多く、むしろ通用しないところのほうが価格比で美味しいような印象すらあります。特にアメリカンエクスプレスが通用するレストランは旅行者向けで割高傾向がありますし、JCBが通用するのはもっといけないかも?

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Londonにて・番外篇

2004年春に欧州に仕事で行った時のメモがまた出てきたので、ここに載せておきます。
まず英国篇。Londonです。

●Laundry/Fish and chips

日曜に宿近くのコインランドリーへ。(今回の出張は三週間以上なので洗濯は必須。ワイシャツやスーツはクリーニングに出しますが、他のものはいつも自分でランドリーで洗うことにしてます。そのほうが地元民たちwatchingにはいいし。)

近くのB&Bに泊まっているらしい若い人たちと、常連らしい地元の独身男ふうと、それに洗濯機を買えないor壊れても直す金がないのじゃないかと思われる人たちがやってきて使っています。

洗いあがるまでの待ち時間に、近くで見つけておいたFish and chipsへ。店員は中東系。油は古くないし、注文を受けてから揚げてくれたのでベストの味のはず。前回・前々回の訪英のときにも食べて、今までの中では一番美味いけれど、それでもまあ、たかだかタラの衣揚げ。別段感動はしませんでした(あたりまえか)。英国人の中高年は多分子供の頃食べたので懐かしく感じる食べ物なのかも。

●Speaker's corner, Hyde Park

洗濯が終わってから、ちょっと歩いてハイドパークのSpeaker's Corner。神は存在しないのだという論争的な演説をしている人がいました。演題が演題だけに右翼みたいな怖い兄ちゃんがSpeakerのすぐそばで腕組みして睨みつけたりしてなかなか緊迫した雰囲気でしたが、聴衆の一人のアメリカ人の突っ込みが傑作なので聴衆が笑い出してしまい、Mr. Speakerは完全に調子を狂わしてしまう。腕組みして威嚇する右翼兄ちゃんたちと違って、このアメリカ人は威圧的な感じはまったくないけれど、聴衆を先に味方につけてしまうと勝ちだということを知り抜いています。混ぜ返しの常連かなとも見受けられました。

●Martha Argerich, Royal Festival Hall

演奏会に行ってきました。彼女は今では日本にも毎年のように来て(大分の湯布院などで)若手を指導する大家になってしまったけど、昔は新進気鋭の若手天才女流ピアニストで美人。情熱的かつ繊細な演奏で絶大な人気でした。若い頃はよく演奏会をドタキャンするので有名で、僕もたしか18年前にNew Yorkでドタキャンされてしまいました。それから数えるとNew Yorkの無念をLondonで晴らそうという、18年めのreturn matchです。

曲目はProkofievのPiano concerto No.3。18年待った甲斐?があったと言いたいほど、素晴らしい演奏でした(細かいこと言えば最初の頃オーケストラがうるさすぎだったけど、やがて調節されてきました)。聴衆も興奮状態で6回もコールがありました(カーテンは降りないのでカーテンコールとは言わないでしょうね)。

演奏も素晴らしかったけれど、同じくらい楽しめたのは、聴衆がクラシック音楽を聞く習慣を持っていてほんとに楽しみに来ている感じがよく分かること。アメリカでも同じなんだけども、ここでも、両脇に座った人たちとすぐ音楽についておしゃべりの輪ができちゃうんです。このピアニストはデュトワという指揮者と結婚して、でも結局分かれたんですよ、知ってます?とかいうコンサート雀ふうの話から、こんな素晴らしい演奏のあとにもう一曲って、どうなんでしょ、いらないわよね?という感想とか。僕の右隣は老夫婦で、最高の話相手でした。これはたまたま運が良かったんじゃなくて、いままでアメリカ・オーストラリアを含めて英語圏で10回以上一人でコンサートに行っているけど、一人でも必ず話に進んで乗ってくれる人が居て、寂しかったということがないです。

もちろん、コンサートが終わるまで名前も言うわけでもなく、軽く挨拶してそのまま分かれるんです。つかのまのおつきあいだけど音楽好きという点では同じということがお互いに分かっているんだから楽しみをshareしましょうよ、という暗黙の了解があるんでしょうね。

英語圏でそういう経験をするには英語がある程度できる必要がありますが、言いたいのはそのことじゃなくて、日本語圏つまり日本で、そういう適度な距離感のある、しかしタイミング次第でお互いの楽しみになるようなつきあいがなかなかできないなぁということです。それとも、ひょっとして若い人たちはそういう付き合い方ができているんでしょうか?(それこそチャットとメル友です、という答えは却下ですよ)(2004年3月)

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2005年1月18日 (火曜日)

金融メルマガBack Numbers掲載

Back Numbersを読む


雑誌『経済セミナー』2002年4月号から連載「南君の金融日誌」が始まり、それと同時にメルマガを毎月一回配信し始めました。これが金融メルマガです。

1から21号までは雑誌連載期間中でしたので、雑誌発売日の数日後に、その直近のnewsをとりあげ、それを連載の直近号の内容を使って解説しました(そうできるようなnewsを探しました)。22号以降は、連載内容をもとに単行本になった『南君の金融日誌』を使って、それに対応するようなnews解説を行ってきて、今に至っています。

2004年8月からは旧Blog「続・南君の金融日誌」も始めました。Blogとメルマガは2004年後半の約半年間は並行して発行されていて、そのBlogの内容はこのsiteに移しましたので、メルマガback numbersの内容の一部はここの記事と若干重複がありますが、今回特に削ることはせずに載せました。

このback numbersは、main pageの「分野別に読む」の「南君の金融日誌」に新しい順に並べてあります。

元の記事の中には各ニュースごとに日本経済新聞の抄録などのurlが書いてあったのですが、時間が経ってlinkが切れてしまったので省略してあります。アクセスしようとしてもリンク切れになっているでしょう。(日本経済新聞の抄録は3か月程度で削除されるので、3ヶ月より前の日経の記事の内容を読むには、有料の日経テレコンに行くか縮刷版を見る必要が出てきます)

このメルマガは現在も毎月発行されています。発行されて約2〜3ヶ月以内のメルマガならばそうしたlink切れの心配はありません。お申し込みはこちらからどうぞ。

今後は発行後約1ヶ月したらここに掲載します。

Back Numbersを読む

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2005年1月15日 (土曜日)

新しい「日向野研究室」www.mhigano.comについて

今ご覧になっているのは、2002年4月に作った旧「日向野研究室」と、2004年8月に始めたBlog「続・南君の金融日誌」を統合したものです。統合のついでに、domain: mhigano.comを取得して引っ越してきました。

常に一番上に表示されている「日向野研究室 www.mhigano.com」という大きな文字をclickすれば、いつでも最初に戻れます。

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2005年1月13日 (木曜日)

Discussion Papers

(1)小口金融における実店舗の役割〜動線と店舗・拠点配置(1.9MB)

既にここで書いたdebit card/ Geldkarte/ Tesco などの話題の延長線上で、
internetが普及している中での実店舗の役割や、電子決済が発達している中でのuserの動線(特に公共交通機関での自動支払い)について取りあえずまとめました。

欧州で取材したときの写真などの画像がたくさん入っていて2MB近くあるので、downloadなさる時は高速回線を使われることをお薦めします

(2)「資本」の法と経済学(330KB)

「資本」概念が商法と会計学でどのように食い違っているかを明らかにしたのは弥永真生教授の近著ですが、この論文ではそれが経済学の資本概念とまたどのような関係にあるかを論じています。

commentよろしくお願い致します mailはこちら

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