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2005年1月23日 (日曜日)

Americans

アメリカ人の30代のカップルとリストランテで隣席になったとき、こちらも料理が来るまでどちらからともなくヒマですから話しているうちに、彼らのアパートが、80年代に合計8ヶ月僕が住んでいたニューヨークのUpper Westsideのすぐ近所だと分かって、86年にMetsが優勝したよね、とか、ゼイバーズって食料品店まだある?とか、すごく話が弾んだことがありましたが、しばらくしてワールドトレードセンター突入事件の話になってしまったのでほどなくして切り上げました。

あのまま話していれば、遠からず、市民5000人死んだっていうけど、僕だってあそこで働いていた中学時代からの友達を一人亡くしているんだ、だいたい東京大空襲の一晩10万人、ヒロシマナガサキ30万人はどうなんだよと言わざるを得なくなりそうだったからです。

アメリカ人の、とくに白人中流はパーティやディナーのマナーが洗練されている人が多いですが、親しくなったり酔ったりして一枚むくとなんとも酷い人種偏見やアメリカ至上主義にはまっていて救いがたいことも同様に多く、そういう場合には洗練されているマナーが何とも空虚です。この人たちの場合、彼(建築家と言ってました)の方はもしかしたら大丈夫そうでしたが、彼女の方がそのタイプに見受けられたので、負けるが勝ちと退散しました。

●喜怒哀楽

僕は(考えごとをしているときは外見はぼんやりしているのですが、それを別とすると)喜怒哀楽というか、感情がすぐ顔に出るほうで、今までそういうふうに顔に出ることが長いこといけないことというか、できれば克服したいことというふうに思っていました。ところが今回イタリアで、喜怒哀楽が分かりやすいために好かれたというか、よく分かってもらえたような気がして、それなら別に直さなくてもいいじゃんという開放的な気分になれました。例えば食事のときは美味しければすぐ顔に出ている気がするのでたぶん給仕や隣席の人たちにもそれが分かるんじゃないかと思います。帰国してまたしばらく経つとこの気分を忘れてしまう予感がして、惜しいとも思えてきます。

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