カテゴリー「02g. Germany」の7件の記事

2005年1月22日 (土曜日)

Speak English?

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2004年4月、ローマに着いても最初の数日は雨まじりで肌寒くフランクフルトとセーターが手放せないので驚きました。今回の出張では三番目の国で、外国にいること自体には慣れましたが、やはりイタリアのインパクトは独特ですね。北部のミラノあたりだと、例えば夜中にミラノ駅前に急に降り立ったとすれば、字がイタリア語なのを除けば、ここはドイツですよと言われてもそうなのかもと思えなくはない景色です(ミラノ在住経験者とかは除く)。しかしローマはミラノとは違って、なんとなく猥雑な感じがして、ニューヨークにも似ています。でもニューヨークの戦闘的な感じとも違いますかね。南国であるせいでしょうか。

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2005年1月21日 (金曜日)

ザワークラウトと白青の壺

ドイツの食事で思い出したことが一つあります。Frankfurtではアップルワイン居酒屋に連れて行ってもらったのですが、ジャガ芋料理とかザワークラウトSauerkrautとか思い切りローカルなものを食べたいと行ったら、ちょっと当惑した顔をされました。特にザワークラウトSauerkrautと言ったときに顔が曇ったようです。Sauerkrautは単に酢漬けのキャベツです。

たかがキャベツの酢漬けにどうして顔を曇らせるのか分かりませんでしたが、そのときはそのままになっていました。欧州出張から帰ってきて、たまたま第二次大戦時の米独戦の映画を見ていたら

「See any Kraut tanks?」

とかしょっちゅうkrautという音が出てくるのに気付きました。前後から察するに、kraut=Germanという意味にしかとれません。つまり上は「ドイツ軍戦車は見えるか?」という意味のようなのです。

念のため辞書をひいてみると米軍が使っていた俗語で、Sauerkrautばかり食べている奴ら・キャベツ野郎=ドイツ兵という繋がりのようです。まったくいろんな悪口の言い方があるものですが、K氏が顔を曇らせたのも、そのせいだったかもしれないと思えます。日本人が米兵の真似をしてドイツ人のことをKrautsなどと言うのはもっての他でしょうね。

なお、上の写真の左奥にある白地に青い草模様の壺ですが、これと似たような大小の壺は例のアップルワイン居酒屋でも他でもよく見かけました。なんとなく西欧風でないような気がしたので、K氏に「あの模様の壺って、中東風とか?」と尋ねてみると「いやいや純正ドイツ風ですよ」との答え。どなたか模様と色の由来をご存じですか? 本当に古くからのドイツ風なんでしょうか。

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2005年1月20日 (木曜日)

Frankfurtにて・番外篇

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欧州出張記・番外篇第二弾はドイツです

Frankfurt am Mein近郊のIdsteinという市は、ゲルトカルテを使っているには使っているのですが、地元商店街で買い物すると商店街共通のポイントカードにポイントがたまって、駐車場もタダになる、というごく分かりやすいというか簡単な話です。実のところ、これならゲルトカルテなんていう仕組みを使うまでもないんですがね(この市には地下鉄はありませんし)。その意味では地域振興の性格の方が強いプロジェクトです。Idstein市内で買い物で貯めたポイントはまたIdstein市内で使える、市内駐車場でも使える、というわけですので、地域通貨の面もあると言えます。

もう一つTrierという市は、アルプスより北側では一番多くローマ時代の遺跡がある町だそうです。(って翌週ローマには行くからあまりありがたみがないんですが<笑>) ここでも地元の銀行が主体になって、Trier大学キャンパスや商店街でゲルトカルテの普及キャンペーンが行なわれていました。公共駐車場で駐車料金を払おうとしている人のところに美男美女のキャンペーン隊を配置して、「ゲルトカルテでお支払いいただけるなら、最初の5ユーロ入りのを一枚進呈します。アンケートに答えていただくと抽選で賞品もあたります」とかやっていました。キャンペーンついでに地元FM局にインタビューされて、英語で数分話したのですが、昼頃収録で午後4時半にオンエアと言ってたのが予定変更で3時半に放送されてしまい、聞き逃しました。

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●東西ドイツ

案内役のK氏によると、東西ドイツ統合の後、旧東ドイツ地域では西よりも賃金が低いので、西側からたくさんの企業が工場を建てるなどした時期がありました。これは統合当時にも盛んに報道されたことですね。ところが、EU統合で人や資本の移動がさらに自由になったので、旧東ドイツ地域はドイツ以外の外国との競争にさらされることになり、チェコやポーランドと張り合わなければならなくなりました。結局旧東ドイツ地域は惨敗してしまい、工場を閉鎖したり、チェコやポーランドに移転する企業が続出したそうです。

いまや旧東ドイツ地域は所得が低く失業も多く、西からは誰も移住しない状態。ただし、西に比べて遙かに自然に恵まれているので観光には向いているそうです。共産主義時代には、遺跡や古い建物のメンテナンスをまったく放置していたので傷んではいますが、破壊はしなかったので、手を入れてやれば観光資源として充分再利用できるものが多いと言われています。

ゼミの学生が4月から旧東ドイツ地域のワイマールに働きに行くのでワイマールのことを聞いてみると、市の予算が足りないので博物館を閉鎖したけれども、観光で地域振興をはかっているはずだと言っていました。そのとき彼が「ワイマール!東ドイツじゃないか」とちょっと軽蔑したような口調で言ったので「Eastern part of Germanyって言わなくていいの?」と聞き直したところから上の会話が始まったのでした。

●イタリア観・オランダ観

いまやドイツ人は世界一海外旅行をする(使う金額ベースで)国民になったそうです。そうでしょうね、かつては英国人だった時代がありますが、ドイツ人はほんとにどこに行ってもよく見かけます。ドイツ人の特に若い人には英語が通じるので話す機会も生まれやすいですね。80年代に来たときに受けた印象と違って、町を歩いている人に道を尋ねるときに英語でまず100%大丈夫、そのくらい英語を話せる人が増えているようです。Trierはフランクフルトから高速道路Autobahnで2時間くらい離れていますからかなり田舎で、そこで生まれ育った50代の人たちもなんとか英語を話していました。

次はイタリアに行くのでひとしきりイタリアのことが話題になりました。そこで僕のかねてからの持論を話しました。どういう持論かというと・・・・なにかとドイツ人はイタリアのことを見下すことがありますが、実はイタリアのことは大好きに違いないということです。ドイツの車の名前の多くがイタリアやスペイン系ですし、ゲーテの昔から、しょっちゅうイタリアに旅行します(80年代の夏に見た光景としては、スイスとイタリアの国境ブレンナー峠にはドイツナンバーのメルセデスにトレーラーをつけた車がぞろぞろ低速で走っていました。)K氏もドイツ人のイタリア好きは認めていました。

ついでですが、トレーラーをつけて移動、といったら「オランダ式だ」と言って笑っていました。ヨーロッパ人の好きな民族ネタ・国民性ネタです。オランダ繋がりで言えば日本の辞書には割り勘にする、を"go Dutch"と言う、と載っていたので僕も使っていました。フランス人やイギリス人には通じましたが、ドイツ人のK氏はその表現を知らなかったので、もしかするとこれは古い(もうあまり使われない)言い方なのかもしれません。それに、英語ではDutchでろくな意味になることがないので(かつては海外で覇権を競っていたライバル同士ですしね)、辞書には書いてないですが「割り勘にすべきでない状況で割り勘してしまう」という言外の悪い意味がありそうです。

そういう国民性ネタに接したときに、分かる限りで一緒に笑ってもいいんですが、日本人は適当な距離感をもつべきでしょうね。英国人やドイツ人になったつもりでオランダを馬鹿にしては変ですし、ましてアメリカ人にすり寄って名誉白人をめざすのももっと変です。あと、日本人はどうなんだと突っ込まれたときには、こうだと思う、と説明する努力義務くらいはあるかも。日本人はどうなんだ繋がりで(どんどん脱線する)、よく日本の伝統芸能のことを外国人に説明できないのが情けないと聞きます。しかしK氏もそれからTrierの50代の銀行マンF氏も、Trierのイベントでピアニストが弾いていた音楽がバッハのカンタータであることを知りませんでしたし、K氏は自分の彼女がバスク系なのに、作曲家のRavel(Boreloで有名)の母親がバスク人であることを知りませんでした(ちとこれは細かいか)。彼らも自分たちの伝統的な芸術を知らないわけで、僕が歌舞伎や能を知らないのと比べて、まあ一種のお互いさまでしょうか。
(2004年3月)

K氏(左)、F氏(中央)、筆者。Trier市にて
(このあとK氏とアップルワイン居酒屋へ)

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2004年8月22日 (日曜日)

デビットカードの日米英独比較

ドイツの消費者の支払い習慣についていろいろ聞き出していくうちに、ゲルトカルテよりもドイツでのデビットカードの普及過程の方が面白く思えてきました。

というのは、ドイツではもともと英米と違って現金の比重が高かったのですが、デビットカードはまず個人小切手を銀行が保証するためのIDカードとして普及したのです。(なお以下の話のうちドイツに関する部分はまだ文献での確認は行っていません)(下に続く)

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独ゲルトカルテの現状(その2)

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前の記事でゲルトカルテは匿名、と書きましたが、匿名でなくすることもできます。下にある写真で、小生の名前が刻印されているものはパーソナライズした後の、匿名でないゲルトカルテです。(下に続く)

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2004年8月13日 (金曜日)

ゲルトカルテの現状(その1)

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ゲルトカルテは、公共交通機関や駐車場で使われている電子現金(e-purse)で、日本でも97年から99年頃にけっこう話題になりました。ドイツ国内では他にネット専用の電子現金がありますが、ゲルトカルテは全国ブランドではそれと並ぶもので、銀行などが出資するEurokartensysteme社が運営しています。

しかし今回見たところ、実態はJR東日本のSuicaが駐車場や一部の商店にも使えるように拡張されたもの、という程度だし、金額も小さいのでなかなか収益事業として成長するのが難しいようです。今回は、結果としては欠点ばかりが見えてしまったという感があります。

しかし各地の見学をアレンジしてくれた現地のドイツ人と親しくなってかなりいろいろ話したこと、それから各地の見学先でこれまたいろんなドイツ人に会えたのが収穫でした。ついでに地元FM局に出演もしちゃいました。(下に続く)

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アップルワイン居酒屋

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フランクフルトに近いザクセンハウゼン地区にある、地元民しか行かないような居酒屋に連れて行ってもらいました。ザクセンハウゼンは観光地で、外国人も多いのですが、少しはずれたこのあたりの店にはドイツ人しか来ないと言います。

実際、東洋人は全然いないし、周りは日本人がいだいているイメージの白人のドイツ人ばかり。物珍しそうに僕らのほうを時々ちらちら見ているふうですが、じき皆自分たちの話に夢中になってきて視線を感じなくなります。そうそう視線と言えば、訪れた郊外の銀行Sparkasseの社員食堂でも注目を浴びましたが、そのときはもっと横柄な視線だったので、連れは「あれが誇り高き貯蓄銀行Sparkasseの人たちさ」と肩をすくめていましたが、ここではそういう視線ではありません。

さてこの居酒屋は、木のテーブルに3〜4人がけのベンチが二つで6人から8人席。他の客と相席が当たり前で、我々が着席するとまもなく満席になりました。我々は通路側に向かい合った席で、僕の隣二人はカップル、もう一組は男同士で、ぶつかったら「すんません」くらい言うけど、話に入るわけではないです。店内は日本の居酒屋のようにお客さんの話し声で賑わっていて、「北部出身だから控えめ」を自称する連れと僕では声量で負けてしまいます。

日本では、客同士が肩を組んで歌っている南部のビール祭りみたいなものが紹介されていますが、ああいうことはフランクフルトでは起きないそうです。ミュンヘンを含むもっと南部の方でビール祭りのたぐいが確かにあるのですが、南部の人たちは意外に閉鎖的でよそ者に冷たく、他方北部は控えめで、結果として外国人や他地方の者にも最も開放的なのはケルンとかボンあたりの人だというのが彼の説です。

店内では記憶力・計算力のすごいおばさんが一人きりで、客を席まで案内し座らせ、注文をとって配膳して勘定を計算して数十人の客をさばいています。決済は現金のみ。あれほどポピュラーなデビットカードもここではダメ、クレジットカードもダメ、もちろんゲルトカルテもだめ。料理はまあ家庭料理というか、定番のマッシュポテトほかポテト料理にザウアークラウトがあって、あとはいろいろな肉や魚。

食べ物はだいたい予想通りですが、意外だったのは誰もビールを飲んでいなくて、みんな大きな壺に入っているアップルワインを飲んでいること。そういう居酒屋なのでしょう。別段甘くはなくて、ちょっと変わったワインです。フランクフルターには人気のある飲み物らしいですが、そういえばフランクフルト郊外Trier市の貯蓄銀行Sparkasseで聞き取り調査に応対してくれた中年銀行員F氏が別れ際に「フランクフルトに戻ったらK君とアップルワインでも飲みにいくんでしょ? 俺はあれはごめんだけどね。やっぱビールでないと」と苦笑いしていました。

K氏(左)、F氏(中央)、筆者

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